命の手紙79(皇紀弐千六百七十八年二月二十三日 弐)

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 労働組合で労働三法を必死に學んだ父です。つづきです。
 ボクは新工場建設→操業のため大阪を離れて静岡県裾野市に移った(身をすり減らすほどの苦労をした)。

 ある日、大阪の組合から共産党員が2名やってきた。聞けば"反労組活動"のため統制委員会で「権利停止(一定期間、労組活動ができない)処分」になったという。

 ついては「宝徳さんの意見を聞きたい」という。大阪から静岡までボクの見解を聞きに来たのだ。ボクは共産党員である組合員のほうに軍配をあげた。泊っていけよと言うのに、彼らは夜行列車で大阪に帰った。 つづく

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このページは、宝徳 健が2018年2月23日 00:54に書いたブログ記事です。

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