寒食(皇紀弐千六百七十八年二月二十七日 弐)

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 この時間が好きです。自分を見直すことが出來る。

 本棚を見つめながら、以前、讀んだ本が私に語り掛けます。「もう、私のことを忘れたの?(何故か女性)」。手に取る。「わあ、うれしい」。 これ人に云ふと馬鹿にされるのですが、本當なんですよ。本屋に行っても、「私を賈つて」と語りかける本ばかりです。最近は、家で夜仕事をすることが多いのですが、事務所に行ったら大變です。「讀め讀め」の本の大合唱が沸き起こります。いいな~。この時間。

 今、手に取ってゐる本に支那の古代の話が。支那の古典も昔、むさぼるやうに讀みました。
 昔、晋の文公が父 献公に追放され、他國を放浪しました。わずか七人の臣がこれに從ひ、艱難をともにしました。中でも介子推(かいしすい)は、自分の腿肉をそいで文王の飢ゑを救ったほどの忠臣でした。その後、何年かして文王は晋に戻り王位を繼ぎました。

 ところが六人の臣はそれぞれ恩賞に取り立てられたのに、どういふわけか介子推は報われませんでした。そのため介子推は母と山に姿を隱しました。文王が介子推を探し出そうと山に火をつけました。火は勢いをまし、介子推は焼け死んでしまひました。

 文王は深く後悔し、その後、この日には火を使はないやうにしました。

 「この日」とは、冬至から百五日目の五百節(または清明節)から三日間です。火の氣を斷ち乾粥を作って冷たいまま食べる風習です。これを寒食と云ひます。

 久々に思ひだしました。この時間、すきだなあ。

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このページは、宝徳 健が2018年2月26日 23:07に書いたブログ記事です。

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