戰國策 再66(皇紀弐千六百七十八年二月二十七日 參)

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 今日から趙の話です。話に入る前に、ちょっと、趙についての基礎知識をまとめます(20091129)。
 晋という国がありました。周王朝の姓は「姫(き)」です。晋の姓も「姫」です。ですから、晋はもともと周王朝の親戚なのです。場所は、山東省といって、黄河の東の南北に位置します。

 もともとは唐という国名でした。周の成王が弟の虞と庭の木の枝を使って「これを以てお前を封じよう。」と封建の儀式の真似事をして遊んでいました。成王が宮殿に帰ると宰相のから「虞殿をどこへ封じましょうか?」と問われました。成王は驚いて、「私はあれと遊んでいただけだ。」と答えるが宰相は「『天子に戯言無し』です。王の発した言葉は覆す事はできないのです。」と答えました。ちょうどその頃あの有名な周公旦が唐を征伐して帰ってきたので、虞を唐に封じ、唐叔虞としました。虞の子燮のときに汾水の支流である晋水にちなんで国名を晋としました。

 さて、そんな名門晋も、春秋時代にはおとろえます。そして、趙・魏・韓の三つの国に分かれます。この晋が三つの国に別れて以降を戦国時代とし、春秋時代と区別しています。三国の中で、もっとも北にある国が趙です。

 次回から、その趙の話をします。名門なので、とっても面白いエピソードがつまっています。

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このページは、宝徳 健が2018年2月26日 23:29に書いたブログ記事です。

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