この戦国策は、政治と外交のお手本です。ともすれば、国がつぶれてしまうという状況が常にあるわけです。でも、戦争ばかりしていては、国はすぐにでも疲弊してしまいます。孫子の兵法にもある「兵は詭道なり(戦争は騙しあいである)」という考え方を用いた、もうひとつの戦争「外交」によって必死に相手を弱めようとします(200912018)。※當時は、民主党政權でした。そのことを念頭にお讀みください。
こんな手練手管の手法を知っている中国と、何千年も平和を保ってきた日本では、今でも外交でやられっぱなしです。「侵略戦争」「南京大虐殺」「靖国神社問題」も、ありもしないことなどで、武力を使わずに日本を弱めようとしている。それにのせられてしまっている政府。何よりも、おバカなのはマスコミです。まったく不勉強で、「正しいこと」と「自分たちの思い込み」を混同してしまっています。次に悪いのが、国民。不勉強なまま、そのマスコミに世論誘導させられてしまっています。
さて、この戦国策は、戦国時代最大の戦いといわれる、秦と趙の「長平の戦い」に場面を写します。紀元前262年から3年間、趙と秦は長平の戦いをしました。結果は趙の惨敗です。戦死者5万人、降伏した将兵40万人は子供240人を除いてことごとく生き埋めにされました。大勝した秦は、いったん兵をひき、講和条約を持ち出しました。
この話は長いので、何回かに分けて掲載します。でも、ここに出てくる趙王は、鳩山みたいに優柔不断なので、読んでいると吹き出してしまいます。
ごめんなさい、ごめんなさい。春眠曉を覺へずでせうか? いや、私の場合は、夜。よく寢ました。OKOKこれで疲れもとれました。このぐらい書かないと、七十二候もふたつぐらいすぎてしまひますね(笑)。
今は、七十二候 春分 末候 雷乃發聲です。「かみなりすなはちこえをはつす」と讀みます。
春の訪れとともに、惠みの雨を呼ぶ雷が遠くの空で鳴りはじめる頃です。季節の變はりめであり大氣が不安定であることから雪や雹(ひょう)を降らせることもあります。
昨日、産經新聞が朝刊で、愚かなことを言つてゐました。
サラリーマンで千葉支店に勤務してゐたときのことです。朝礼で、社員が交代でスピーチをします。ある朝、新入社員の女性が登場。「私は、光源氏が大好きです」から始まりました。「へ~、この子若いのに、源氏物語を讀んでゐるんだ。偉いな~」と聽きながら思ひました。ところが、次に、「光源氏の諸星くんがローラースケートで・・・・・・・・・」。普段テレビを觀ない私「・・・・・・・・・・(頭が錯乱状態)」でした。
インターネットで檢索しても、歴史上のとても大切なキーワードが、なんかちゃらい、キャラクターの名前になつてゐたりすると、いや~な氣分になります。あさいな~(20160604)。
第二帖 帚木(ははきぎ)を讀んでゐます。
第一帖 桐壺の最後の方では、光源氏は十二歳でした。第二帖では、まう十七歳です。
いいですね! 第一帖で覺へるのは、桐壺といふ名前です。あとから出て來る藤壺も。
第二帖で覺へるのは、頭中將(とうのちゅうじょう)と空蟬(うつせみ)です。
さて、光源氏と頭中將とあと二人の四人が雨夜の品定め(あまよのしなさだめ)をやります。
船虫が帰った後、あやしんだ現八は角太郎と雛菊が止めるのも聞かずに、様子を探りに出かけました(20100425)。
あっ、そうだ、まだ、名前とかは確定していませんが。八人揃いましたね。
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵
礼:きっと角太郎ですね。犬士になったときの名前はまだわかりません
智::犬坂毛野(いぬさかけの) 小文吾が軟禁されているときに助けた女に化けていた犬士
忠:
犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、
信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶ
んご) 行徳の旅籠屋の息子
今囘は、安河内Bくんです。
だちん、とは、小田君のことです。
第二帖 帚木(ははきぎ)を一緒に學習してゐます(20160603)。
趙(ちょう)の国の話を続けています。紀元前226年に、趙の恵文王が亡くなりました。太子はまだ幼く、母の太后が摂政となりました。隣国秦の脅威を受けて、大后の心は揺らぎます。
今日のテーマは「かわいい子には苦労をさせよ」です(20091217)。
このブログから明日のルーティンです。
九十一歳になる父が自分の人生を手紙で遺そうとしてゐます。私は忘れないようにブログに遺してゐます。
ハンモックナンバーのことが書かれてゐます。海軍は、これでつぶれました。
今日から二十四節氣 春分です。そして、七十二候は、春分 初候 雀始巣です。「すずめはじめてすくう」と讀みます。
雀が巣作りを始める頃です。
一體、野党は何を騒いでゐるのでせうね? 財務省文書書き換えで、政治の關與がなかつたので明白です。國益よりも、安倍晋三にくしだけです。では、眞相です。
こんなの速く終はつて、安全保障と經濟をやらなきゃ。
太平記に記されてゐます。「これを汝が孝行と思ふべし」と。これとは一體なんだのだろう?
さあ、一氣に行きませう。
今日のこの話で、古事記のイザナギとイザナミの話と酷似してゐることがわかります。
「太陽の昇る國とはいったいどんなところなのだろう」。アフリカで生まれた人類が世界各地に散らばるとき、多くの民が我が國を目指しました。そして、多くの民族が我が國で融合しました。皇室を中心として。特に海から。そう、我が國は、世界のあらゆる民族の文化を呑み込んでできた國なのです。どの民族も虐殺することなく。呑み込んで。いずれこれをシリーズで書きます。
このギリシャ神話をも呑み込んでゐることがわかりますよね。古事記は、私たちの先輩たちが、今の日本人に示した生き方の遺言なのです。
現八が洞窟の男の霊に、証拠としての髑髏を渡されたところまででした(20100424)。
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵
礼
智
忠:
犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、
信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶ
んご) 行徳の旅籠屋の息子
今、考古學がとてつもなく發達して、我が國の本當の歴史が解明され始めてゐます。稻は、支那大陸からの傳來などではありません。それよりも古く、我が國には稻作が存在しました。世界四大文明などといふ嘘を教科書に載せてゐるのは我が國だけです。それよりも古い文明が我が國にありました。などなど。 ところが、歴史學界は、これを絶對に認めません。自分たちに價値がなくなるからです。
しかし、いずれ、眞理と眞實と事実が明らかになり、驚愕の我が國の眞の歴史が判明した時、世界は我が國を尊敬するでせう。
そればかりではありません。
この記事から明日のルーティンです。
まるで魔女狩りです。國益など考へない國會。最初に結論ありきと云ふ左翼の常とう手段魔女狩り。それにだまされる愚かな國民のなんと多いことか。なんでこんなに情けない國になつたのか。今、安倍晋三が降りたら、世界の安全保障バランスがくずれます。石破? 彼は、野党か他國のスパイと云はれても仕方がないことを主張してゐます。岸田?マネジメンタ―ではありますがリーダーではありません。それに加へて、尻馬に乘る自民党員。なんとまあ・・・・。
考へると腹が立つのでやめときます。
私が今、なぜ、オルフェウスを書いてゐるか。それは、我が日本のすばらしさを知っていただくためです。近年、考古學がとても發達してきました。古事記の世界が、眞理であり、眞實であり、事實であることが証明されてきたのです。でも、歴史學界は絶對に認めません。いつの日か、我が國の歴史が正しいものに置き換えられる時がきます。その時、世界は我が國を認めざるを得ません。みなさんには、ほんの少し早くお傳へしますね。
では、今囘もオルフェウスをお樂しみください。この話、何かの話に似てゐませんか?
どこでだつたつけな~。確か、石山寺です。石山寺は、紫式部が「面白い小説を書け」と命じられて、構想を練るために籠つた寺です。大好きな寺のひとつです。石山寺には、もちろん源氏物語に關係する土産物の品々がたくさんあります。そのひとつに、源氏物語のあらすじを簡單にまとめた短冊があります(20160531)。
その最初か二番目に出てきたゐたのが、第二帖(今日から)の「雨夜の品定め(あまよのしなさだめ)」です。
でも、それだけ讀んでゐては何の事かさつぱりわかりません。
第二帖で、なぜ、「雨夜の品定め」が出て來るのか。それは、頭中將(とうのちゅうじょう)を登場させるからなのです。第一帖と同じで、五十四帖に及びそうだいな今後の源氏物語を讀みやすくするために紫式部が行つた工夫です。
前回から、戦国時代の趙の国の話です。でも、今日は、次の話に進むのに、ちょっと必要な人物を紹介します。許由(きょうゆう)という人です(20091209)。
今年九十一歳になる父が、自分の人生を遺すために、親類に手紙を送ってきます。 娘息子、その配偶者、孫、孫の配偶者、曾孫(二人)、叔母宛です。
□海軍四方山話
のつづきです。
先日、事故後のことで損害保険会社の人と会話をしていました(この記事は、近いうち、HPブログにも載せたいので現代仮名遣いと当用漢字で書きます)。最初は「とても親切な人だなあ」と思っていましたが、彼等からすると被害者の私は、当然、敵です。話が具体的になってくると、仕事のスピードが遅くなったり、無責任になってきます。
あっ、先ほど、「当用漢字」と書きました。今は、常用漢字というのでしょうか? 私たちの子供の頃は「当用漢字」でした。GHQ アメリカ占領軍は、我が国から、世界で一番美しい日本語を消し去ろうとしました。そして、日本語がなくなるまで「当(面)用(いる)漢字」で当用漢字となりました。この日本語を消し去ろうとするときと、歴史的仮名遣いや繁体字をなくそうとするときに大活躍した日本人がいます。文科省(現 文部科学省)です。
では、つづきを。
「どの本よりわかりやすいギリシャ神話」の番外篇です。キリスト教が、ぐちゃぐちゃに汚す前の歐州を知ることは、歴史を學ぶ上でとても大切です。でないと、彼らの思考が理解できません。
この第一帖(第一章)は、源氏物語と云ふ壮大な物語の序章です。源氏物語の大前提です。
帝とある女御の間に皇太子が生まれ、その後、帝が桐壺を溺愛して第二皇子をもうけます。それが光源氏です。帝は將來のトラブルを案じ、第二皇子を臣下に落として源氏の姓を與へます。桐壺が他界し、嘆きの帝は、桐壺とよく似た藤壺を女御とします。
この藤壺に、青年となつた光源氏が許されに戀を抱き、そして、子供まで生まれます(第一帖は生まれるところまでは出てこない)。
現八が洞窟で出会った、変な男の話が続きます(20100422)。
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵
礼
智
忠:
犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、
信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶ
んご) 行徳の旅籠屋の息子
この日誌ももうすぐ終はりなので、寂しいなあと思ってゐました。今日、家に歸つたら何かノートの束が・・・。かみさんが片づけをしていたら出てきたみたいです。懐かしい物ばかり。テニス部日誌があと5冊ありました。私自身の若い時の日誌も。これで当分ブログの日誌ネタがあります。今書いているテニス部日誌は、以前、このブログにも掲載していましたが、今日見つかったのは初公開です。昭和五十年~五十二年があります。つまり、髙校の三年間です。まだよく見てゐませんが、よく残つてゐたなあ。
では、今の日誌の續きです。またも安河内A君です。
「どの本よりわかりやすいギリシャ神話」の番外篇です。キリスト教が、ぐちゃぐちゃに汚す前の歐州を知ることは、歴史を學ぶ上でとても大切です。でないと、彼らの思考が理解できません。
そして、私たち日本人は、比較文化を學ぶ必要があります。なぜなら、私たち日本は、太古から世界中の文化を呑み込んできた國なのですから。これについては近々、シリーズで書きます。このオルフェウスも、我が國の神話の何かに似てゐませんか?
保守を標榜するならこのぐらいの感覺は持ちませう。
http://rueru-net.com/astro/orpheus.htmlを参考に書いてゐます。
皇太子を生んだ女御(にょうご)は、「うちの子より、光源氏の方がいいわ。帝はあの子を後繼者にするのではないだらうか」と嫉妬に狂います。それに權力爭ひがくははります。この女御(あへて名前は出しません。源氏物語を讀むとき名前にこだわると進めなくなります)は、出自は立派だし、バックには有力者が控えてゐます。周りも「光ちゃんのはうがいいぢやない」となつてゐます。
帝は、愛する光の君の將來を案じます(20160527)。
中国古代の戦国時代は、悲惨な時代かというとそうでもありません。むしろ、文化が大きく花開きます。この前、妹からメールが来ました。「お兄ちゃん、中国ちゅうのは、論語やらいろんないい考え方や文化があるけど、なして、今、こげなアホみたいな国になったと」(博多弁)(20091205)。
本当にそうですね。笑ってしまいます。中国古代で花開いた「人間としてのあり方」を最も実践されているのが、日本の天皇陛下です。でも、日本の皇室が絶対に受け入れなかった、中国の制度があります。二つあったのですが・・・。えっと、ひとつど忘れしました。もうひとつは、「宦官制度」です。日本の皇室のすごさがうかがえますね。それと、日本だけです。奴隷制度のなかった国は。これも皇室を中心とした国体のなせるわざです。
さて、昨日は、予譲が趙襄子を暗殺するために、顔は潰すわ、喉は潰すわして、橋の下に隠れたところまででしたね。
昨日から二十四節氣 啓蟄 けいちつ です。土中で冬ごもりしてゐた生き物たちが目覺める頃です。そして 七十二候 しちじゅうにこう は「蟄虫啓戸」です。「すごもりむしとをひらく」と讀みます。土中で冬眠をしていた虫たちが、暖かい春の日差しの下に出てき始める頃です。
今年、九十一歳になる父が私たちに書き遺してゐる手紙を、私もここで遺しておきます。
「どの本よりわかりやすいギリシャ神話」の番外編です。
ギリシャのテッサリア地方にオルフェウスという男が住んでいました。彼は神アポロンとムーサイのひとりカリオペの間に生まれました。オルフェウスは毎日、金の竪琴を彈いては誰もまだきいたことのないステキな歌ひました。彼が歌ふたびに、鳥や獣がその歌を聽きに集まります。木々は頭を下げ靜かに聞き入つてゐました。空の雲さへその歌を聽くといちさう美しく輝き、小川の水までも彼の歌に合はせてやさしい音をたててサラサラと流れました。
彼は多くの人に音楽の名人として慕はれましたが、アルゴー船の遠征に加はつて手柄をたててので、全ギリシャで有名になりました。
オルフェウスにはエウリュデケという妻があり、二人は心からお互いのことを愛していました。彼は日々妻の為に竪琴を奏でて歌ひました。すると、エウリュデケはオルフェウスと並んで草原に腰を下ろして彼の曲に聞き入つてゐました。それはそれは仲の良い夫婦でした。
ORKさん、ありがとうございます。書く勇氣がわいてきました(20160524)。
第一帖(第一章)桐壺の解説をしてゐます。とにかく、源氏物語は桐壺からはじまります。帝が溺愛する桐壺から、それはそれはかはいい、玉のやうな光源氏が生まれました。誰もが一目見たとたん、絶賛します。
成長するについて深い敎養や嗜みも加はり、ますます宮中の人氣者となりました。
それでなくても、帝の寵愛を一軆に受けてゐる桐壺です。
現八が洞窟に行ったら変な男がいたところまででした(20100420)。
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵
礼
智
忠:
犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、
信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶ
んご) 行徳の旅籠屋の息子
けふも年表のつづきだけです。お話は明日のブログから。
ずいぶんとあいてしまひましたので、もう一度最初から書きますね。途中まで書いていたこのシリーズの「再」が終はつたら、またつづきを書きます。源氏物語は日本人なら知っておかなければならない教養のひとつです。
何回目の挑戰でせうか(笑)。源氏物語は讀んだのですが、人にわかりやすく解説することがなかなか困難でした。このブログで何度か挑戰したのですが、斷念してゐます。さあ、やるぞ。切り口を變へて挑戰です(20160522)。
まず、なぜ源氏物語が通讀できないか。それは、私の心の戀人 紫式部が天才だからです。彼女が今の世に生きていれば、私はすべてを投げ打って彼女に仕えます。彼氏にしてまらおうなんて、そんな大それた考へは持ちません。
だいたい、千年前には、女性が小説を書くなど、歐州や支那では考へられません。そんなことをしたら、殺されてしまひました。
なのに、我が國では、紫式部や清少納言が出ました。男女は區別はされてゐましたが、差別は、我が國ではありませんでした。それどころか女性のはうが強かつたのでは(笑)。
源氏物語は、五十四巻からなつてゐます。その第一巻(源氏物語では第一帖)は、桐壺です。
さあさあ、私の再度の源氏物語挑戰をとくとご覧あれ。
「士はおのれを知る者のために死す」の続きです(20091204)。
「士はおのれを知る者のために死す」の続きです。
今日は、ひさしぶりの休日(といっても家で仕事をしますが。在宅勤務といふやつ)。ゆつくりしながら、いつもは出來ない片付けものや、いつもなかなか連絡が取れない人へ手紙を書いたり。いいですね~。
かみさんが、冷蔵庫を賈ひに連れて行けと(笑)。年數が經つと家具も壊れます。夫婦仲のやうに(笑)。
オリンピックの報道が相變はらず、續いてゐますが、「おめでたうございました」「ありがたうございました」と。金メダルは時間としては過去取つたものかもしれませんが、祝つてゐるのは「今」なので過去形にしてはいけません。「おめでたうございます」です。ありがたうも一緒です。恩を受けたのは過去かもしれませんが、感謝しているのは今です。だから「ありがたうございます」です。「おめでたうございました」「ありがたうございました」といふ日本語はありません。とは言へ、私もよく使つてしまひますが。
昨日の産經新聞は面白かつた。讀賣は最近、「なんだかな~」といふ感じです。
産經新聞の連載で「楠木正成考」があります。サブタイトルが「公を忘れた日本人」です。
「私」の「禾」偏は、「穀物」です。「ム」は、人が肘を曲げた樣子です。つまり「穀物を独り占めしようとしやうとして肘で全部かき集めてゐる姿」です。「公」は、その肘を一つの屋根の下で使うこと。つまり無私です。敗戰後長らくこれが惡とされてきました(なんと)。
まあいいや。昨日の産經新聞に「楠木三代考」が両面一杯につかつて掲載されました。「楠木正成考」特別編ださうです。
これはとっておきたい。では、正成・正行(まさつら)・正儀(まさのり)の親子三代の物語を、私の稚拙な知識と併せて書き留めます。まずは年表から。
現八の放った矢が妖怪の親分の眼に命中したところまででした(20100418)。
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵
礼
智
忠:
犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、
信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶ
んご) 行徳の旅籠屋の息子
同居してくれてゐる妹の話では、まだまだ元氣ではあるけれどやはり弱つてゐるとか。今年で九十一歳です。先がどうなるかではなく、頻繁に顔を見にいくやうにします。
けふから新しい手紙です。あっ、言ひ忘れてゐましたが、父はこの手紙をワードで書いてゐます。パソコンはかなりできます。
さて、今日から趙の話です。最初は、刺客の話です。この話は史記にも載っています。史記はあまり、刺客の話は載っていないのですが、今日紹介する「予譲(よじょう)」は載っています。ひとつの男の生き方なのでしょう(20091201)。「士為知己者死、女為説己者容」支那のいろいろな古代物語を讀んでいて印象に残る言葉の一つです。
今日は、檢診。兵庫醫大病院に行きます。11時から眼科。14時から病院内で保險會社と打ち合わせ、15時から歯科です。随分と時間があるので(檢診と檢診の間とか)、病院内で仕事をします。あまり重たい仕事は病院ではできないので、伝票整理とか手紙を書いたりとか・・・。それはそれで樂しみです。夜は、在宅勤務。かういふ日もあつてよいかも。
昨日は、浅間山荘事件で警察官が突入した日でしたね。
今日から三月ですね~。彌生。この彌(弥)といふ字はかなり重要な意味があります。彌榮(いやさか)もさうです。「ますます」「これからさらに」などの意味があります。昔の日本人は、言葉の作り方が上手ですね。
「どの本よりわかりやすい南総里見八犬伝」「戦国策」「カウンセリングの技法」のやうに過去の記事には「再」の字をつけてゐます。このテニス部日誌だけついてゐません。實は、このブログは過去一度、壊れたことがありました。その壊れた時期の記事がまだ復活できてゐません。これらを復活しやうとすると膨大な時間と労力がかかります。仕事を引退してからになりさうです。その壊れた時にある記事のひとつが「テニス部日誌」です。現在のこのブログ上では檢索できません。なので「再」の字をつけてゐません。
閑話休題。今囘は、小田君です。