楠木三代考(皇紀弐千六百七十八年三月三日 五)

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 産經新聞の連載で「楠木正成考」があります。サブタイトルが「公を忘れた日本人」です。

 「私」の「禾」偏は、「穀物」です。「ム」は、人が肘を曲げた樣子です。つまり「穀物を独り占めしようとしやうとして肘で全部かき集めてゐる姿」です。「公」は、その肘を一つの屋根の下で使うこと。つまり無私です。敗戰後長らくこれが惡とされてきました(なんと)。

 まあいいや。昨日の産經新聞に「楠木三代考」が両面一杯につかつて掲載されました。「楠木正成考」特別編ださうです。

 これはとっておきたい。では、正成・正行(まさつら)・正儀(まさのり)の親子三代の物語を、私の稚拙な知識と併せて書き留めます。まずは年表から。


【楠木三代の年表】
1294年▶楠木正成誕生?
1326年▶長男・正行誕生?
1327年▶次男・正時誕生?
1330年▶三男・正儀誕生?
1331年▶正成、後醍醐天皇に拝謁
      ▶天皇に呼応して下赤坂城で挙兵
      ▶40日の攻防戰ののち、下赤坂城を燒いて姿をくらます
1332年▶正成、千早城で再度擧兵、100日間の籠城戦に耐へる
1333年▶鎌倉統幕。正成、兵庫で後醍醐天皇を迎謁し上洛

 なっげ~、つづきは明日。

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このページは、宝徳 健が2018年3月 3日 05:21に書いたブログ記事です。

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