昨日の新聞から(皇紀弐千六百七十八年三月四日)

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 今日は、ひさしぶりの休日(といっても家で仕事をしますが。在宅勤務といふやつ)。ゆつくりしながら、いつもは出來ない片付けものや、いつもなかなか連絡が取れない人へ手紙を書いたり。いいですね~。

 かみさんが、冷蔵庫を賈ひに連れて行けと(笑)。年數が經つと家具も壊れます。夫婦仲のやうに(笑)。

 オリンピックの報道が相變はらず、續いてゐますが、「おめでたうございました」「ありがたうございました」と。金メダルは時間としては過去取つたものかもしれませんが、祝つてゐるのは「今」なので過去形にしてはいけません。「おめでたうございます」です。ありがたうも一緒です。恩を受けたのは過去かもしれませんが、感謝しているのは今です。だから「ありがたうございます」です。「おめでたうございました」「ありがたうございました」といふ日本語はありません。とは言へ、私もよく使つてしまひますが。

 昨日の産經新聞は面白かつた。讀賣は最近、「なんだかな~」といふ感じです。

 今囘のケースが良いか惡いかは別とします。今囘とは、リニアをめぐる大手ゼネコンの談合です。談合つて何が惡いの? これを誰か説明してください。完璧な制度はありませんが、メリット・デメリットを考へたとき、談合の是非が私には理解できません。

 私は、現時點では安倍首相を支持してゐます。安倍さんがいなかつたら今の國際情勢は・・・と考えると背筋が凍ります。今、民主党政權なら、恐らく國土のいくつかは支那に奪われ、日米同盟は破綻し、天皇陛下は譲位できず、經濟は大混乱で自殺者が大幅に増えていたでせう。

 自民党の他の人間でも無理です。 

 しかし、だからと言つて、政策をすべて指示してゐるわけではありません。私が野党ならかう云ひます。専守防衛について、先日、國會で述べていらっしゃいました。一撃を受けてからしか反撃できないと。専守防衛とは受ける前に攻撃することだとしてほしい。でなくて、どうして國と國民と財産を守れるのか。國防費が、GDPの1%で世界で最も危險な地政學に位置してゐる我が國を守れるのか! 日本の傳統と文化と云ひながら、なぜ、小學校から英語教育などと云ふ國家破壊の所業か。憲法と憲法典の違ひを明らかにし、そして、國民にそれを知らしめないと憲法典改正論議はできない。まずは、憲法と云ふ名の文章でしかない 邪教 日本國憲法の誤植を國民に訴へよ。

 確かに國防は變化してきました。少なすぎる豫算で、よくあれだけの工夫ができるものです。

 護衛艦いずもの空母化の記事が載つてゐましたました。

 ヘリコプター護衛艦があります。ひゅうが、いせ、いずも、かが。

ひゅうが
ひゅうが写真 に対する画像結果

いせ
いせ 写真 に対する画像結果

いずも
いずも 写真 に対する画像結果

かが
かが 写真 に対する画像結果

 寫眞の順番に新しくなってゐます。この中の護衛艦いずもが空母化できないかどうかの檢討に防衞省が入りました。支那と野党が騒いでゐます。

 我が國海軍もいきなことをやります。帝國海軍の空母は、すべて、我が國の國の名前をつけてゐました。その傳統をふんでゐます。つまり、空母のつもりで造つてゐます。これにF35Bを積みます。ものすごい威力ですね。あとは運用面。早くポジティブリストからネガティブリストに變へていかなくてはなりません。かがも同様に空母化が可能です。

 地方に息づく 神と王の物語・神話  といふ記事も連載されてゐます。今は、日本全國の浦嶋傳説を連載してゐます。面白い。私たちのが小學生の頃は、地域の白地図や地域調べなどを社會の授業でやりました。深く地域を愛しました。今は、まつたくやつてゐません。なぜか。地域を愛する→國を愛するにつながるので不埒な日教組がやらないのです。以前、丹後地区にあるクライアントの店長と丹後の素晴らしい歴史を語り合はうとしたら全く知りませんでした。「習つてゐないとのこと」。

 40年目の検証 私の拉致取材 は、相變はらず 素晴らしい。今回は、「めぐみさんを「少女A」とは書けなかった」。どう云ふ感情かわかりませんが、何か體中に電流が走りました。これは素晴らしい記事だ。


憲法と云ふ名の文章でしかない 邪教 日本國憲法 の三大理念

國民主權:國家を転覆してより權利
平和主義:自分さえよければ他人は不幸でよい平和
基本人権の尊重:人を殺してもよい權利

 恐ろしいですよね。この平和主義ゆえに十四歳の女の子が拉致されても助ける意思もないし助けるの力も國民はもとうとしません。

 その横に「シベリア抑留死 11人の身元特定」の記事が。抑留ではなく拉致です。言葉を變へませう。ああ~、祖父の名前はいつになったら出てくるのか。

 「東大寺へお届け」 福井 「お水送り」
 小濱士の鵜瀬から東大寺に水が「送られ」ます。そして東大寺はそれを「お水取り」をします。この鵜瀬と云ふところがたまらなくきれいなんです。

鵜瀬 写真 に対する画像結果

鵜瀬 写真 に対する画像結果

 小濱は本當に豐なところです。  をはり

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このページは、宝徳 健が2018年3月 4日 09:23に書いたブログ記事です。

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