蟄虫啓戸(皇紀弐千六百七十八年三月六日 弐)

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 昨日から二十四節氣 啓蟄 けいちつ です。土中で冬ごもりしてゐた生き物たちが目覺める頃です。そして 七十二候 しちじゅうにこう は「蟄虫啓戸」です。「すごもりむしとをひらく」と讀みます。土中で冬眠をしていた虫たちが、暖かい春の日差しの下に出てき始める頃です。
 子供の頃は、この時期は、土筆や山菜をたくさん採りに行きました。それを祖母と母が料理をしてくれました。

 土筆の袴取りは子供の仕事でした。
土筆 写真 に対する画像結果

 まだ少し早いかなあ。蓬 よもぎ もたくさん採りました。蓬は草餅に。
蓬 写真 に対する画像結果

草餅 写真 に対する画像結果

ぜんまい、わらびもよく採ったなあ。


ぜんまい 写真 に対する画像結果

 我が家は決して裕福ではありませんでした。どちらかといふとかなりの貧乏でした。

 でも、子供の頃ひもじい思ひをしたことはありません。豐でした。嚴しい父、優しい母(私には嚴しかつたと親戚の人は云ひますが、私にはそんな感覺はない)。おやつはすべて手造り。おいしいぬか漬け。私たち子どもが食事やおやつを食べてゐるときのあの母の嬉しさうな優しい笑顔は今でも忘れることが出来ません。

 庭の畑も何やらありましたね(笑)。それを採ってくるのは子供の仕事。佛壇にご飯をあげるのも子供の仕事。我が國の生活樣式の中で、なにかしら子供には役割がありました。

 父が仕事などで食事の時に居なくても、必ず かげぜん がありました。父の席に座ることは許されませんでした。祝日には日章旗を掲げて祝ひました。

 正月のお節をつくるときにも子供の役割が。私の役割は、くりきんとんの裏ごしと、七輪の黑豆の煮具合の番でした。

 今、私たちは何を得て何を失ったのでせうね。

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このページは、宝徳 健が2018年3月 6日 03:30に書いたブログ記事です。

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