楠木三代考 4(皇紀弐千六百七十八年三月十九日 八)

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 太平記に記されてゐます。「これを汝が孝行と思ふべし」と。これとは一體なんだのだろう?
 兵庫に向かふ途中で正成が、數え11歳の嫡子・正行に與へた教へは以下の3つです。

一、當座の命が助かるために降參不義の振る舞ひはするな
二、一族郎党一人でも生き残れば、金剛山に籠城せよ
三、敵が來れば、命を惜しまず戰つて名を後代に残せ

 この教へを與へられた正行は、楠木氏の本拠地・河内に歸へされます。

 正行はその地で成長し、父の十三囘忌を行ったあと、室町幕府に對して擧兵します。二十三歳でした。

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このページは、宝徳 健が2018年3月18日 21:24に書いたブログ記事です。

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