命の手紙 84(皇紀弐千六百七十八年三月二十二日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 このブログから明日のルーティンです。

 九十一歳になる父が自分の人生を手紙で遺そうとしてゐます。私は忘れないようにブログに遺してゐます。

 ハンモックナンバーのことが書かれてゐます。海軍は、これでつぶれました。
 海軍は妙なところで、学科試験の成績で入隊後の役割(地位?)が決まることだ。宝徳佳男は1番(毎度スミマセン)だったらしく、海軍のことはなにもわからないボクの苦労が始まることになる。入隊後1週間は、分隊長附を命ぜられ、豫科練習生として同期生をまとめる力があるかを観察された。本人はそのような課程を踏んでいることとは知らなかった。宝徳はめでたく松山海軍航空隊第23分隊の練習生200名の組長を仰せつかった。

 分隊は、陸軍の中隊相当で、分隊長は大尉。海軍はダイイと濁る。

 分隊の甲板練習生などの役付練習生は分隊長が任命するが組長(宝徳)は航空隊司令(大佐)が任命するという格付けがある。  つづく

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/7526

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2018年3月21日 18:11に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「雀始巣(皇紀弐千六百七十八年三月二十一日)」です。

次のブログ記事は「戰國策 再71(皇紀弐千六百七十八年三月二十二日 弐)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。