命の手紙 86(皇紀弐千六百七十八年四月二十一日 弐)

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 今年九十一歳になる父が、海軍のことを書き綴つてゐます。つづきです。
 2等兵というのは最下級だが、予科練は新旧が早く、1か月後に1等飛行兵、3か月後に上等飛行兵、6か月後に飛行兵長、1年経つと2等飛行兵曹(下士官)となる。昇進は早いが死ぬのも早いと言われていた。

 海軍は「走る・走る」とにかく走る。階段は2段跳び。下りの二段は難しい。

 ナゼこんなに走るのかと質問したら、「敵地に不時着した時逃げるためだ」の答えが返ってきた。

 宝徳組長の苦悩は同じ中学から松空(まつくう)に入隊した原田の存在だった。

 昔は、尋常高等小学校といい、尋常6年を終えて中学校(5年)に進む者と家庭の事情で高等科(2年)に進む者がいたし、高等科を終えて中学に進む者もいた。

 原田は後者で小学校では2年先輩だった。指導力は抜群で指揮能力に優れていた。その原田がボクの指揮を受けるようになったのだ。2段ベッドもボクが下段で、原田が上だった。

 原田が我慢してくれたから、ボクは松空の新兵時代は乗り切ることができたと思っている。つづく

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このページは、宝徳 健が2018年4月21日 06:00に書いたブログ記事です。

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