つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十八年五月四日 六)

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 半藤一利が、とんでもない本を出しましたね。この自虐感は一體なんなのでせう。

 司馬遼太郎、山崎豊子、半藤一利、吉村昭、城山三郎、阿川弘之(特に阿川三部作『山本五十六』『米内光政』『井上成美』)は、讀んではいけません(松本清張などは云ふに及ばず)。

 私は、若いころ、上記作家をむさぼり讀みました。この十數年ぐらいは、極力一次資料に近いもので書かれた本を讀むやうになりました。すると、彼らが書いてゐるのが、ほとんど嘘だと云ふことに氣づきました。筆が強いので騙されるのですね。

 よくここまでありもしないことで美化できるものだとびつくりしてしまひました。

 入れ歯が入って噛めるやうになりました。(贅沢はいへませんが)入れ歯はしょせん入れ歯。一人で食べてゐると、食べ物がおいしくないのです。だから、つい「もういいや」と食べないことが多くなります。

 そんな私を氣にしてか、今囘は、クライアントさんが、私においしいものをたくさん食べさせてくれました。そして、すばらしいところにも案内してもらいました。
 まずは織幡神社。福岡県宗像市鐘崎にあります。
地図


 鐘崎の港の先にある鐘ノ岬の小山・佐屋形山の山頂に鎮座してゐます。鐘ノ岬の沖には異国から渡来した釣鐘が沈んでいるという「沈鐘」の伝承がありました。

大正時代に引き揚げられましたが、釣鐘だと思われていたものは実際には巨石でした。その巨石が参道脇に置かれてゐます。





 神功皇后の三韓征伐に際し、宗大臣(宗像大社の神)が「御手長」という旗竿に武内宿禰が織つた紅白2本の旗をつけ、これ上げ下げして敵を翻弄し、最後に息御嶋(宗像の沖ノ島)に立てたと傳へられてゐます。武内宿禰が旗を織つたのが當地で、その旗が祀られてゐます。







 きつい階段だったなあ。


 鐘崎は海女発祥の地でもあります。

 長くなるので、つづきは明日。

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このページは、宝徳 健が2018年5月 4日 17:16に書いたブログ記事です。

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