つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十八年五月廿日 弐)

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 親父の手紙やテニス部日誌などのたくさんのブロググッズが入ったクリアケースを、事務所に忘れてきてしまつた( ;∀;)。 手紙グッズも。せつかく、家でゆつくりできる日なのに。😿。

 この數日で、藝能關係の方々があいついで亡くなつてゐます。

 西城秀樹さん。私より3つ上。あの頃「御三家」といふ表現がよく使はれてゐました。野口五郎さん、郷ひろみさん、西城秀樹さんもそうでした。同年代では、山口百恵さん、櫻田淳子さん、森昌子さんもさう(最初は中三トリオと呼ばれてゐましたが)。私は藝能界にはあまり興味がなかつたので、熱狂した覺へなありませんが、それでも「へー」と思つてしまひます。

 朝丘雪路さん、星百合子さん。女優の方々にも詳しくないのですが、子供の頃TVで觀てゐたら、「女優さんとはきれいなんだなあ」と感心したことを覺へてゐます。

 どつかのアメフト部の監督が遅きし失つしながらもなにかをほざいていました。「カンセイガクイン」を「カンサイガクイン」と間違える最大の失禮もおまけにつけながら。メディアも間違つてゐます。「クヮンセイガクイン」です。

 文藝春秋のがひどすぎますね。かつてあんなに面白かつたのに、半藤一利が主導權を握り始めたころからです。最近は、朝日新聞と一緒で、触るのもけがらわしい。名前を變へることをお薦めします。

 支那の古典に四書五經があります。四書は、「論語」「孟子」「大学」「中庸」です。五經は「易經」「書經」「詩經」「春秋」「禮記(らいき)」です。四書と五經は、時代が何千年も離れてゐます。四書は、五經をまとめなおしたものです。その五經のひとつ「春秋」の名前をとったのが文藝春秋です。まあ、支那の古典など、自分たちの理想論ばかりをあげつらね、全く實行しないといふものばかりです。特に四書は。その理想論を實現したのが我が日本です。 でも、五經は好きです。これは、まだ漢民族が生きていたころのもの(漢民族は春秋戰國時代に9割が死滅しました。だから、今は純粋な漢民族は残っていないとおもっていいでせう)。閑話休題。文藝春秋ではなく、「文藝四書」ぐらいにしたらちやうどいいのでは? それでも、言ひ過ぎかも。文藝朝日?文藝破壊? うん、これがいいかも。

 悲しい事件がたくさんありますね。どうして人を殺すんだらう。邪教 日本國憲法「典」に基本的人權の尊重があるからですかねえ。殺す方も尊重しなさいと・・・・。今、大切なのは憲法「典」改正論議ではなく、「憲法」を國民が學び治すことです。正しい我が国の何千年の悠久の歴史を學ぶことです。

 かつて、椿事件と云ふものがありました。

 平成五年六月、衆議院解散第四十回衆議院選挙が行はれ、細川政權ができ、自民党が下野しました。

 テレビ朝日取締役の 椿貞良は、

「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。 今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」

 テレビ朝日取締役の 椿貞良は、言ったのです。邪教 日本國憲法「典」のなせるわざですね。そろそろ目を覺ましませんか?

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このページは、宝徳 健が2018年5月20日 06:51に書いたブログ記事です。

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