カトリック教會主義(皇紀弐千六百七十八年五月二十二日 弐)

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 以前、このブログに聖書の解説をしました。とてもニュートラルな解説と共に。まあ、言へば、キリスト教徒、それもカトリック教會主義の人たちには都合の惡い内容なのでせう(申し上げておきますが、日本で學ぶキリスト教は、とてもおだやかです。これを以てキリスト教と思はないやうに。キリスト教さへ飲みこめる力のあるのが我が國です)。

 すると、私のパソコンにいたづらメールが一日六百通ぐらい入りました。ブログの記事を削減するとぴたりと止みました。恐るべし。今囘、こんなことを書いたらまた攻撃されるかなあ(笑)。

 さて、政教分離といふ言葉があります。
 我が國ではシビリアンコントロールが本當の意味で使はれていないのと同じく、この政教分離も間違った使ひ方をされてゐます。政治と宗教の分離ではなく、政府と宗教の分離です。

 カトリック教會主義(以下、キリスト教 この記事では)は、ローマ帝國に入り込みました。でも、三百年間は一切普及しませんでした。なんとか普及し始めたら、彼らがやったのは、自分と意見の違ふ人間たちをぶち殺して回ったことです。一神教とは不便なものです。

 そして、聖書に書かれてゐることしか學ばせなかつたために、あれほど發展してゐた、科学が、一氣に崩壊し、街は糞尿で汚れ、暗黑のヨーロッパが出來あがりました。同じキリスト教徒でも宗派が違えば殺しまくりました。「異教徒は殺さなくてはならない(ころしてもよいではありません)」「本當の歴史を知つてゐる、それだけで、殺す十分な理由になる」が中世歐州です。

 それに疲れ果てたのがルネサンス(再生)です。ローマ帝国の時代に戻らうよ、です。そして、そこから出來あがつたのが、ウェストファリア条約 歐州公法です。現在の國際法です。

 ちなみに、支那と米國は、中世を經てゐないので、國際法など一切守りません。

 宗教戰爭最後の戰ひが、三十年戰爭。その餘濤が、我が國にも來ます。島原の亂です。それを美化してゐる不思議な國です(笑)。

 さて、我が國にも宣教師の奴らが大擧してやつて來ました。最初は「八百万の神の我が國だから、キリスト一匹ぐらい入つてきても大丈夫だらう」とたかをくくつてゐました。

 ところが奴らのやることと言つたら・・・。

 日本人を奴隷にして外國にたたき賣りはじめたのです。秀吉は激怒しました。それが伴天連追放令です。

 我が國では、信長が、宗教を叩き潰してくれたので、宗教戰爭はありません。皇室中心の社會なので、政教分離は完璧になされてゐます。神道? 神道は宗教ではありません。教義も經典もありません。

 そして、我が國民は、本質的にキリスト教のことが理解できるのでせう。キリスト教比率は1%です(韓國は30%です。儒教の國とはよく言ったものです(笑))。

 眞理と眞實と事實を知ることは大切ですね。

 まあ、だから、歐州では、「政府」と「宗教」の分離を叫ぶのです。こんなすさまじいことを中世でやつたからです。我が國には、政教分離は關係ありません。おっと、公明党・・・・・・・ あの党は、政權をになつてはいけない。

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このページは、宝徳 健が2018年5月22日 08:00に書いたブログ記事です。

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