源氏物語 再26(皇紀弐千六百七十八年五月三十日 四)

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 順番なら、十七条憲法やフランス革命と保守を書くところですが、今囘は、話の流れからどうしても源氏物語を。雨夜の品定めを覺へていらつしゃると思ひます(20160905)。

 紫式部がなぜ、第2章で雨夜の品定めをあんなに長く書いてゐるかという意味を知らないと、第2章で源氏物語を讀むのをやめてしまふでせう。その後に續く章に出て來る女たちへの布石を打つてゐるのです。その最初が、亡くなつた夕霧です。
 雨夜の品定めの時に、頭中將(とうのちゅうじょう 光源氏の親友であり、光源氏の妻 葵の上の兄)が云っつてゐたことを、光源氏は思ひ出します。

 光源氏は、從者に聞きます。

「あの人は一體何者だったんだ」
「口止めされてゐたことをお亡くなりになつたからといって話してよいものかどうか」
「いや、不思議な縁があつた人だ。懐かしくてたまらない。ぜひに聞かせて慾しい」

 なんと、話を聽くと夕顔は、頭中將の愛人だつたのです。いつときは仲むつまじかつたのですが、頭中將の妻の實家から恐ろしいことを云はれ、黙つて軆を隱したのでした。そこにたまたま光源氏があらはれて・・・・、といふ事情です。

光「(ああ、さういへば、頭中將が、雨夜の品定めで云っていたなあ)」
光「確か子供があつたはずだ」
從「はい」
光「事情を頭中將に話してよいものかどうか」
從「はあ・・・」
光「殘された子を私のところで育てていいのだが」
從「はい・・・・」

光「いくつだつたかなあ、あの人は」
從「十九歳でした」
光「すばらしい人でしたね」

 雨夜の品定めの時に、「二流」でも素晴らしい人がいると話していたことがここで生きてきます。

見し人の 煙を雲と ながむれば 夕べの空も むつましきかな
(あの人を弔った煙があの雲かと思へば、この夕べの雲も懐かしくてたまらない)

 悲しい結末ですね。つづ

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このページは、宝徳 健が2018年5月30日 09:48に書いたブログ記事です。

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