戰國策 再81(皇紀弐千六百七十八年五月三十一日 參)

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 支那古代、戦国時代のことが書かれた「戦国策」を掲載しています。その中の趙(ちょう)の国の話し。今日は、趙の国の最後の話しです。テーマは「趙滅亡の前夜」です。長いので年をまたいで何日かにわけて掲載します(20091231)。

 すでに始皇帝率いる秦の優勢は決定的になっています。韓・魏・楚に続いて、趙にも滅亡の日が来ました(紀元前222年)。この章は、趙もまた他の諸国と同様、滅ぶべくして滅んでいます。勉強になります。

 ちょっと人物紹介が必要です。呂不偉(りょふい)は、秦の始皇帝の父が人質時代、その父を援助し、王にまでしたてあげた男です。また、その王に、自分の子供がいる自分の妾をその王に献上しました。 その子が、政、つまり、秦の始皇帝であると言われています(つまり呂不偉の子供)。始皇帝の父が没したあと、呂不偉は、国政の最高の地位にまで昇りつめま す。また、この女とよりをもどしていました。でも、その妾の女(始皇帝の母)が、この上なく、淫乱でした。この淫乱をもてあました呂不偉は、別の男を性の 対象としてあてがいます。女はこの男の子供を何人も産み、かくして育てます。
 それが始皇帝の知るところになり、男は殺され、女は、まあ、皇太后なので幽閉で許され、そして、呂不偉は連座して追放されます。

 さて、話を始めます。
  司空馬(しくうば)は、秦を追われた呂不偉(りょふい)とともに趙に逃れました。司空馬は宰相代理にとりたてられました。その頃、趙は秦の激しい攻撃を受けていました。司空馬は趙王に進言しました。

司「文信侯(ぶんしんこう:呂不偉のこと)が秦の宰相時代、わたしは尚書(官名)として仕えました。だから、秦の国情にはよく通じております。その後、あなたにお取り立てていただいているのですから、趙のようすもわかってきました。ひとつ両国の戦力を比べてみましょう。どちらが勝つか、じきじきにご判断願います。まず、国土の広さはどうでしょうか」
王「それは及ばぬ」

司「では、人口はどうでしょう」
王「それも及ばぬ」

司「物資の豊富さは」
王「それも及ばず」

司「国内の治安はどうでしょうか」
王「それも及ばぬ」

司「宰相の手腕は」
王「それも及ばぬ」

司「将軍の勇気を比べると」
王「それも及ばぬ」

司「法令の徹底ぶりは」
王「それも及ばぬ」

司「これでは、趙はどれをとっても秦に及びません。まちがいなく滅びます」
王「あなたはわざわざ遠方から来て、政治を教えて下さっている。どうか考えを聞かせてほしい」

 司空馬はなんと答えるでしょうか? つづく。

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このページは、宝徳 健が2018年5月31日 07:09に書いたブログ記事です。

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