この日誌もあと二囘分で終はりです。手元にある「かみさんが發見した」日誌は以下の通りです。
①昭和五十二年四月二十五日~十一月十五日
ちやうど、今書いてゐる日誌の次です。私たちはインターハイで引退(事実上は六月四日のインターハイ 福岡縣予選終了後 ガバナンスを2年に譲った)しましたから、その後の日々のも載つてゐます。これは樂しみです。
②昭和五十二年十一月十八日~昭和五十三年五月十四日
①の続きですね
③昭和五十一年四月二十七日~昭和五十一年九月二十二日
今書いてゐる日誌のひとつ前です。
④昭和五十年四月十六日~昭和五十一年四月二十四日
これは、我らがマドンナ 生田マネジャーの字ですね。
そっか、部誌をつける文化がまだなかつたのですね。最初はマネジャーがつけて(このころは前の代の小原キャプテンのガバナンス)、そして、私の代になってからつけ始めたんだ。
今の日誌が終はつたら、①→②→④→③の順番で書いていきます。
そしてなんと、私の日誌が四冊出てきました。これはテニス部のことももちろんですが、部活を引退してからの日誌もあります。ものすごく恥ずかしいけど、これもブログに遺しますね。本當に真劍に生きてゐた。そのころを振り返り、そのころの寳德健にパワーをもらひます。
①昭和四十九年五月二十三日~昭和五十年十二月二十一日:この本に自己を発掘せよ
これは貴重です。私は一度髙校受験に失敗して中學浪人をしてゐます。そのころから髙校一年生の日誌です。これは面白い。
②昭和五十一年一月一日~昭和五十一年八月三十一日:一ずつ不可能を可能に
③昭和五十一年九月五日~昭和五十二年十二月二十五日:自然体
④昭和五十三年一月九日~昭和昭和五十四年三月二十五日:MYSELF(この後大学生)
計八冊 お付き合ひくださいね。
では、今囘の日誌は寺田君です。一年生女子マネジャーが入りましたね。郷原さん。彼女のお姉さんは私たちと同級生。結構みんなのマドンナでした。
こんな發言、今では、確實にセクハラですね(笑)。