戰國策 再83(皇紀弐千六百七十八年六月三日 四)

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  趙が滅亡する話を続けています(20100104)。

 献策が受け入れられない司空馬が討ち死に覚悟で秦と相対するので軍隊を貸してくれと趙王に申し出たところまででした。趙王はこれも拒否します。
 司「すでに思うところを申し上げました。おとりあげくださらない以上、お仕えしても仕方がありません。おいとまいたします」

 司空馬は、趙を去りました。
 平原の渡し場まで来ると、渡し場の長官は司空馬の労をねぎらっていいました。

長官「秦の軍隊が趙に向かっています。あなたは趙から来られたそうですが、趙はこれから先どうなりましょうか」

司「趙王に数々の進言をしたが取り入れられなかった。趙は滅びるだろう」

長官「いつごろ滅びますか?」

司「武安君を大将にすれば一年はもちこたえられる。だが、武安君が死ねば半年ももつまい。趙王の臣下に、韓倉(かんそう)という者がいる。よからぬことをしては趙王にへつらい、すっかり気に入られている。この男は賢人を憎み、功臣をねたむ奴だ。大事なときに王はきっとこの男の意見を聞く。武安君は殺されるにちがいない」

 司空馬のいうとおりになりました。

 趙が滅びた後、この長官は会う人会う人にこのことをいいました。

「司空馬が秦を追われたのは無知だったからではありません。趙を去ったのも不肖だったからではありません。趙は司空馬に去られて滅びました。賢人がいなくなったからではなく、いても、その意見を聞かなかったからです」


 小沢よ、聞いているか?

※武安君
 趙の名将です。史記では、武安君の指揮に手を焼いた秦が、趙王の寵臣に多額の金を与え、武安君が謀反をたくらんでいると趙王に讒言し、殺させたとあります。

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このページは、宝徳 健が2018年6月 3日 08:08に書いたブログ記事です。

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