命の手紙 93(皇紀弐千六百七十八年六月五日 參)

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 親父の手紙のつづきです。徹底的に飲んだ   といふ後からです。
 全員二日酔いの身で予讃線 よさんせん、土讃線 どさんせん と乗り継いで米軍の爆撃で"火の玉"がゆれている高知駅に着いた。火の玉を初めて見た。衣嚢 いのう(衣類を入れる袋)を担ぎ、途中溝(どぶ)に落ちて泥だらけになるヤツもいたが、深夜、浦戸海軍航空隊(浦空)に着いた。

 呉第11海軍特別陸戦隊200人は歩調とれ・頭(かしら)ア右と号令する宝徳(挙手の敬礼)とともに営門をくぐった。 つづく

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このページは、宝徳 健が2018年6月 5日 06:44に書いたブログ記事です。

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