「昔、舜が漆器をつくったときも、禹が供物用の台に彫刻をほどこしたときも、それを諌める者が十人以上もいたという。たかが食器類のことで、事々し い諫言など必要ないと思うが、そなたはどう考える」
褚遂良(ちょすいりょう)が答えました。
「彫刻に凝れば農事が疎かになり、機織に凝れば、それだけ女どもに負担がかかりましょう。奢侈に走るのは滅亡を招く元であります。漆器だけですめば まだよいのですが、やがて金で食器をつくるようになり、いずれは金でもあきたらなくなって、玉で食器をつくるようになります。ですから、争臣は必ず初期の 段階で苦言を呈し、末期になるとあえて諌めたりしません」
太宗が言った。
「そなたの申したことはもっともである。しかしながら、もし私に不都合なことがあれば、初期だろうと、末期であろうと、遠慮なく苦言を呈してほし い。近ごろ、先人の記録をひも解いているが、その中に、臣下があることを諌めても、「今さらやめることはできない」とか「すでに許可を与えてしまった」と 聞き流し、いっこうに改めようとしね、そんな話がよく出てくる。君子がこんな態度をとっていたのでは、あっというまに国を滅ぼしてしまうだろう」
【所感:宝徳(私見です。参考本とは関係ありません)】
倹約ということと、苦言を初期の段階でしていくことの大切さが書かれています。倹約ということは、経営者にとって不可欠のものであることは、あらゆる古
典に書かれていることですが、裕福な時代に育った私たちは、ついそれを怠りがちです。故宇佐美史郎氏は、ほんとうに倹約家でした。ケチなのではなく、自分
の夢実現のために、普段は本当に質素でした。我慢しているのではなく、質素でした。
苦言を初期の段階で聞くことは、経営者の維持が邪魔をしてしまうことが多々あります。また、中小零細企業の経営者は、諫言してくれる存在を内部・外部に
持つことが大切です。中小零細企業と大企業の大きな差は、中小零細企業の経営者には、大企業とは比較にならないくらい大きな権限を保有しているということ
です。裸の王様になりやすいことを自覚しましょう。
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