戰國策 再95(皇紀弐千六百七十八年六月二十四日 參)

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 中国古代、戦国時代の絶妙な人間のやり取りが書かれた「戦国策」を紹介しています(20100601)。

 燕の国の紹介がここしばらく続いていますが、燕の国の最終回になります。長いので何回かに分けて紹介しますが、戦国時代最大の刺客、暗殺未遂事件を紹介します。

 ほんの少しのずれで、秦の始皇帝暗殺が失敗に終わります。始皇帝は運も味方にしていたのですね。
 戦国末期、秦の始皇帝(当時は秦王 政)は次々と諸国を征服していきました。紀元前二百二十二年、燕もついに秦の手によって滅ぼされます。この話は、燕滅亡の前五年のことです。たったひとりの刺客の物語です。史記にも載っています。あまりにも有名な物語です。

 燕の太子・丹(たん)は、秦に人質になっていました。でも、もっと若い頃、同じ国に人質に出されていて、中がよかった、秦王 政(後の始皇帝)の、丹に対する扱いが、あまりにも冷たいので、頭にきて、逃げて帰ってしまいました。

 さて、秦は燕などなんとも思っていませんが、どんどん他国を征服し、ついに、燕の国境まで来ました。太子・丹は、側近に相談しました。側近は、まだ、他国を攻撃している最中なので、様子を見るように進言しました。

 そのとき、秦から樊於期(はんおき)という名将軍が燕に亡命してきました。樊於期将軍は、始皇帝の考えに意見を言ったため、始皇帝から殺される恐れが出てきたので、亡命してきました。

 丹は樊於期将軍をかくまいました。側近は大反対しました。樊於期を北方の匈奴に送るように進言しましたが、丹は、聞き入れず、樊於期をかくまいました。

 丹は、側近に聞きました。「どのみち、秦と燕は両者成り立たないのだ、何か、よい方法はないのか」と。

 側近は答えました。「わが国に田光(でんこう)先生という方がいらっしゃいます。知力、勇気ともすぐれた人物です。相談するにはうってつけです」

 丹は田光先生を招いて、この難事の相談をしました。

 田光先生は、どんなアドバイスをするのでしょうか。

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このページは、宝徳 健が2018年6月23日 21:57に書いたブログ記事です。

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