貞観政要 再4(皇紀弐千六百七十八年六月二十四日 六)

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 今日は、「我が心は称(はかり)の如し」です。企業経営者の人事に対する心構えですね。太宗は皇帝になる前は、秦の王でした(20090615)。
 太宗が皇帝の位について間もない頃、宰相の房玄齢が奏上しました。

「秦王時代の部下で、まだ官職に就いていない者どもが、われらよりも、前の太子や斉王に仕えていた連中の方が、先に官職についていると不満を鳴らし ています。いかがとりはからいましょうや」

 太宗が語りました。

「昔から至公と称された者は、公平で思いやりがあり、私心がなかった。たとえば聖天子と仰がれた堯、舜である。彼らの息子は、いずれも不肖の息子 だった。だから二人とも息子に位を譲らなかった。また、周の成王を補佐した周公旦は、二人の兄弟が王室の叛いたとき、自分の兄弟だからといって容赦しな かった。これらの例からも明らかなように、万民に君たる者は、天下を公器とみなし、一片の私心も抱いては成らないのだ。諸葛孔明は小国の宰相に過ぎなかっ たが、その彼ですら「私の心は秤のようなものだ。相手によっててかげんはしない」と語っている。まして大国を治めている今のわたしとしては、孔明以上に公 平でなければならない。

 われらの移植はすべて人民に依存している。ということは、人民はすでにわれらのために十分尽くしてくれているということだ。しかるに、われらの恩 沢はまだまだ下々の者までに及んでいない。今、人材の登用をはかっているのは、ほかでもない、人民の生活の安定をはかるためである。

 さて、その人材の登用であるが、問題は、職責に耐えられるかどうかであって、新参、古参の違いは問題にならない。人間というのは、初対面の相手で も親しくつき合えるものだ。ましてや昔の部下のことをどうして忘れることができよう。しかしながら、職責に堪えない人間をたんに古参だからといって、優先 的に登用することはできない。今その者どもが、自分の能力を棚に上げて、恨み言を並べていることは、もってのほかである」

【所感:宝徳(これは私見です)参考の本とはまったく違う解説です。】
 諸葛亮孔明が亡くなったとき、彼に罰せられた罪人でさえ、その死を悲しんだそうです。また、今後、大中規模を問わず、企業の合併などが起きてくるでしょ う。その際に、いかに公平に人事が行われるかは、大きな課題となります。
 この世で最も恐ろしい動物は人間です。

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このページは、宝徳 健が2018年6月23日 22:07に書いたブログ記事です。

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