福岡髙校テニス部日誌 S2(皇紀弐千六百七十八年六月八日)

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 今囘は靏君です。一年生。この代は、非常に運動神經と運動能力に優れてゐました。彼もそのひとりです。だけど生意気(笑)。このぐらいがいいのですが、一度、絞めたことがあります。一列に並べて往復ビンタ。今だったら大變ですね(笑)。

 さて、どんなことを書いてくれてゐるかな。
 4月29日 (金) 曇りのち晴  靏 康彦

 今日は天皇誕生日だ。正直いって休日まで学校に来て練習したくない。ところで今日の1時からの練習でライン引きが遅れました。1時から始まるのだから1時までにくればいいのだろうと思っていた。でも来てみると先輩から「今まで何しよったとか」と聞かれたので「着替えてました」と答えると「もうちょっと早く来い」といわれたので着替えて早くコートにこいということだったのか、と思い改心したが、実は違かった。それは1時から始まるのだから1年は1時までにライン引きをすませるということだった。

 これからはきちんとしようかな。

 ところで今日の試合は三年生で2セット、二年生で2セットあった。やっぱり三年生の方はうまい。二年生の方はそれに比べれば落ちるが、僕等と比べればいうまい。

 まだテニスに関する知識が浅いのでこのようにいえないと思うがでも客観的にみて、また正直いってこんな結果だと思う。

 しかし、硬式テニスがこんなにむずかしい競技だとは思ってもみなかった。今日もボール打ちをさせてもらったが、思うようにいかずおこられてばかりだった。

 だからそれだけに今後頑張ろうという意欲がわく。しかし・・・。では今日の日誌はこれでend


くそボール 45コ
ストロークボール 4コ


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このページは、宝徳 健が2018年6月 8日 05:28に書いたブログ記事です。

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