何度も書きますが、この日誌は、本當にはづかしい。だけど、こんなに強く思ひ感じながら生きていたのですね。すべてを十五歳に戻すことはできませんが、この氣持ちを少しでも取り入れたい。
中學1年生の時は原先生です。私は、自分が亂れたときに人生を救ってくださった先生が二人いらっしゃいます。お一人が小學校四年生のときの髙橋一三(かずみ)先生。もうお一方が、原先生です。
まあ、こんな中學ですから、私もかなり亂れてしまひました。成績が極端に惡くなりました。ある日、理科教室に呼ばれました(原先生は理科の先生でした)。なんと、こんな私のために、ワンワン泣きながら生活態度や成績のことを整えてくれました。生徒のためにこんなに泣くことができる先生がゐるでせうか。
これはいけない。先生を悲しませてはいけないと、次の試験では、トップ10入りしました(学年で)。
人間とは、自分だけのためには頑張ることが出来ない生き物ですね。今でも人生の師の一人です。
さて、はづかしい日誌をお讀みください。十五歳の私です。昭和五十年です。
4/11
テニスがしたい。はやく充実した生活を送りたい。自分でそれができないとはなさけない。ああ、なさけない。命をかけた生活がしたい。自分の生と死をかけて、そのさかい目の道に自分がいて、せいいっぱいその道を生の方向へ大きくし、死をたたきつぶす努力をするような生活がしたい。そのためにはテニスが第一に必要だ。その第一が出来ないなんて。はやく学校が始まってほしい。自己のすべてを一日にはきだし、次の一日に必要なものをすいとる。そして一日一日成長してこの地球・宇宙をもつつめるようなでっかい男になりたい。それが望みにしては今、現在は小さすぎるなあ。
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