Tennis Diary この本に自己の発掘をせよ(皇紀弐千六百七十八年六月五日 弐)

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 さあ、恥づかしい(ずではなく「づ」のはずなんですがねえ)ブログ記事を書きます。私の十五歳の時の日誌です。題は、日誌のノートに書かれたタイトルです。

 髙校に入学した時、母と私と私の担任の先生との三者面談がありました(記憶では)。なんでも、私は福岡髙校に三番で入ったそうです。担任の先生が云ひました。「こんなに成績も良いし、素直で優しいのに、なんで、こんなに内申書が惡いのですか?」と。「これが昨年、髙校を落ちた原因ですか?」と。

 そう、私は、髙校受験に一度失敗して、中學浪人をしたのです。福髙には、一年後に入學しました。まっさらな制服に髙校の襟章をつけた同級生と、襟章がついてゐない學制服で髙校受験科の予備校に通ふ私。とても恥づかしかつた。せっかくですから、私の中學時代と髙校浪人生時代のこともあはせながら書きますね。
 
 この髙校浪人(當時は中學浪人と言っていた)時代は、私の人生に大きな影響(良い影響)を與へました。ただ、髙校に入って自分は一浪したとことをどうしても同級生に云ふことができませんでした。いま、カミング・アウト。みんなごめんね。
 
 では、はじめませう。

 浪人生なのに、運動不足になってはいけないと、母が一般の硬式テニスクラブに入れてくれました。私は、中學時代は、軟式テニスです。だから、この時はじめて硬式テニスをやりました。全く別のスポーツです。そのあたりから日誌は始まります。
5/23 晴 AM5:30~AM6:15
 昨日雨が降ったのでコートコンディションが悪かった。練習は

 素振り、サービス、ストローク

 サービスは足の動きがよくわからないことと、手首のひねりがたりないと思う。ストロークはだんだん安定してきている。明日は体操を忘れないようにしよう。

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このページは、宝徳 健が2018年6月 5日 06:30に書いたブログ記事です。

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