つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十八年七月二日 六)

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 ベルリンの壁が崩れ、東西冷戰に決着がついた時、社会主義者・共産主義者という暴力主義者は、
「左翼」と云ふ言葉を極度に嫌いました。自ら名乘ったのが「リベラル」です。昔、こんなことばなかつたもの。

 日本人は言葉を創る天才です。支那の憲法の七割は日本人が創った日本語出さうです。支那人は、日本人が言葉を創るのを待つてゐます。

 共産主義もさうです。なんかいや~な感じがする言葉ですよね。
 左翼と云ふ言葉もそうなのかどうかは知りませんが、なんか嫌な言葉ですよね。右翼も(笑)(右翼と共産主義は同じ思想です。右翼はそれにプラスして天皇と騒いでゐるだけです。我が國の國體など理解してゐません)。

 そして、そのリベラルに、枝野とか菅直人とか福島瑞穂がなりました。鳩山? 岡田? ああ、あれは無知人なだけです。

 あれっ?この記事で、つづいて何か本を紹介しやうと思つたんですが・・・・。忘れてしまひました。

 なんだっけ。そろそろ仕事をしないと・・・・。

 また今度ね。をはり

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このページは、宝徳 健が2018年7月 1日 20:19に書いたブログ記事です。

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