福岡髙校テニス部日誌 マドンナ篇(皇紀弐千六百七十八年七月五日 弐)

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 さあ、すさまじい、新シリーズです。我が同期のテニス部マネジャー そして みんなの マドンナ 生田女史の「硬式テニス部 部誌」が出てきました。この前、連絡したら「ぜひ、送ってほしい」とのこと。まだだめ~(笑)。このブログであなたの素敵さをみんなに知ってもらってから送りますね。

恐らく彼女の存在がなかったら私たちはインターハイに出場できなかったでしょう

 人のためにこんなに親身になれるものなのですね。人って。 すばらしいサポートでした。四十餘年の時を超えて、彼女のすばらしさを紹介します。
 まずは、彼女が書いてゐた日誌を。


 昭和五十年に三年生が引退したころ(だと記憶)、生田さんがマネジャーになりました。私たちは1年生。2年生に キャプテン吉倉さん、小原さん(途中、吉倉さんが戰線離脱によりキャプテン)、長谷部さん、扇さんの4人がゐました。だから、最初の頃の日誌は、生田さんとキャプテン吉倉さんのやりとりになってゐます。


 こんな風に私たちの出欠をつけてくれてゐたのですね。1年生の當時はまつたく知りませんでした。


 吉倉さんが指示した彼女の仕事なのでせう。實際、こんなもんじゃなかった。ほとんどすべてを私達の部活に捧げてくれました。彼女自身も他に部活をしていましたが。

 では、次囘から、樂しみに。私の見榮坊主日誌よりリアリティがあってよほどよいよい(笑)。厳しいよ。

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このページは、宝徳 健が2018年7月 4日 21:26に書いたブログ記事です。

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