貞観政要 再9(皇紀弐千六百七十八年七月五日 七)

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 唐の太宗の政治を語った「貞観政要」を紹介しています。今回のテーマは「都督、刺史は須(すべか)らく人を得べし」です(20091019)。

 貞観二年、太宗が側近の者に語りました。



 「わたしは、毎晩、人民の生活に思いをはせ、夜中過ぎになっても寝付かれないことがある。というのも、私の任命して現地の司令官や州の長官らが、はたして人民のことに気を配っていてくれるかどうか、心配でならないのだ。それゆえわたしは、屏風の上に彼らの姓名を記録し、起き伏しのたびにそれを見ている。そしてなんぞ善政を行ったという報告があれば、姓名の下に詳しくその事実を書き記しておく。わたしは、奥深い宮殿の中に住んでいるので、遠い地方のことにまでは、なかなか目が行き届かない。そこで地方のことは彼らに委任しているのである。天下の治乱は、まさに彼らの肩にかかっている。だから、地方の責任者は、とりわけ、すぐれた人材を活用しなければならない」


【宝徳の所見(参考文献とは関係ありません)】
 この幹部にする人材が中小零細企業の経営者にとっても頭が痛いところでしょう。しかしながら、経営者が「将」たる器を磨き続け、「将」たりえる行動をしているかがもっと大切です。それを怠って、社員のことをうんぬん言ってもしかたがないでしょう。
 下士官のような仕事をしている経営者が多いことも事実です。また、将たるものの、もっとも大切なことは、「慎独」です。誰よりもすぐれた生活習慣を身につけること。この努力なくして、人材不足を嘆いてもそれは片手落ちというものです。

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このページは、宝徳 健が2018年7月 4日 22:25に書いたブログ記事です。

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