母の命日と創業記念日(皇紀弐千六百七十八年七月十一日 弐)

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 一日過ぎてしまひましたが、七月十日は、弊社の創業記念日です。十七年經ちました。

 そして、母の命日。平成七年七月十日。もう二十三年。母は全軆リウマチでした。最初にかかった醫者がでたらめで間違った治療をし、輕い症状ですんだ病氣なのに全軆がガタガタになりました。ほぼ全軆が人工関節になりました(最終的に)。

 それでも、「痛い」と云ふ言葉をほとんど聞いたことがないですし、自分から寝たきりにならないやうに、家事は賈ひ物も含めすべて自分でやつてゐました。
 あまりにもつらさうなので、見かねて家事を傳だおうとしたら、「これは私の仕事! あなたは男でせう! 他にやることがいくらでもあるはずです!」と怒られました。

 母の命日を創業記念日にしてゐるのはあの「負けない強さ」を毎年思ひ出すためです。母はもう治らない病ひだつたのです。つまり、自分の軆體に勝てない状況です。毎朝起きても起きても絶望的な自分の軆體がある。それに負けない。

 正しい敗戰前教育を受けた人間とは、なんと強いのでせう。

 母は、中學の時、トップの成績でした。地域で一番の髙校に進學する豫定でしたが、受験日當實、祖父母が母を呼びました。「お金がないから合格しても行かせてあげられないから今日は受けないでくれ」。

 なかなか受験に来ない母を學校の先生が迎へにきます。「秋武(母の舊姓)! 今ならまだ間に合ふ!先生が自轉車の後ろの乘せていくから、早く来い!」 祖母「汎子はでかけておりません」。

 母は、見つからないように風呂桶に隱れて、聲を押し殺してワンワンないていたさうです。

 心臓の手術をしました。交通事故にも遭ひました。でも、私は死にませんでした。母がまだ私の人生に合格點をつけてくれないのです。「まだまだね。まだ負けない強さを軆につけていないね。こちらにくる資格なし。もつときちんと生きなさい! 言い譯をするな!」と。

 (笑)毎年怒られてら~。

 さてと、前進しますか。精進を重ねますか。


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このページは、宝徳 健が2018年7月11日 07:32に書いたブログ記事です。

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