命の手紙 112(皇紀弐千六百七十八年七月二十九日 弐)

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 再就職先の危機を父はどうやつて乘り切ったのでせう。
 取締役会では、課長以上、5%の給与カットなどみなさんから「案」が出たが、「そのような姑息な手段では危機が乗り越えられない」「経営危機になったのはここに居る役員の責任だ」と、違憲を切って捨てました。

 ボクは自慢げに言っていますが、他国のことは知らないが、日本の国の会社で賃金を凍結した会社はありません。入社のときからボクは、日本ファステムは"アブナイ会社"とみていました。

 翌年の1月、皆さんに「オレたちは勝った」と高らかに宣言しました。危機を逃れました。みんな我慢してくれました。しかし、内情はそんなにスムーズにはいかなかった。ある常務(前橋支店長)が交際費を分散仕訳して各店の経費として配分していたのを発見したので、常務を喫茶店に呼び出して1時間お説教をしました。彼は常務取締役でボクは平取り(平の取締役)ですが、容赦しませんでした。

 この時以降、この常務は本社に来てボクの横を通り過ぎるときは顔をそむけていましたが、彼は後にボクを支持する最大の勢力になりました。

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このページは、宝徳 健が2018年7月29日 08:15に書いたブログ記事です。

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