Tennis Diary この本に自己の発掘をせよ 18 最終囘(皇紀弐千六百七十八年七月二十八日 七)

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 このシリーズは今囘で締めます。でも、書いていて氣づいたことがあります。1年生で技術が驚く程未熟な中(私の技術が全國レベルに伸びたのは2年生の春からです)、意志だけはしつかりしてゐる自分がゐます。なので、親父の「命の手紙」、私のTennis Diary そして、その後の私の經驗も踏まへ、リーダーシップについてのシリーズをこのシリーズの發展版として書いてまいります。
 
 いつも申し上げてゐます。リーダーとは、

いかなる状況でもチームを勝利に導く人間

です。しかし、個人スポーツのチームとは、それはそれは纏めることに難しさがあります。團體スポーツはその比ではありません。

 なぜなら、個人スポーツは、普段はお互いがライバルだからです。そいつがいなければ個人戰は樂に勝ち進めるからです。現に私たちの部は、メインレギュラー全員が中部地區大會の準決勝に残るほどでした。

 ものすごく變な言ひ方をします。普段は殺したくなるほど憎らしいのです。でも、ダブルスや團體戰で勝つためには、そいつの力を自分が引き出さなければ(これは相手も同じ氣持ちです)、勝てないのです。殺したくなるほど憎たらしい相手達とチームを組む。

 そのためには、凄まじいぐらいの「經營目的」と「經營目標」が必要です。そして、リーダーがそこから一歩も下がらない。これを髙校時代に身につけました。

 だけど、私は「福岡髙校テニス部のかつての強さと傳統をもう一度取り戻す」といふ經營目的を掲げたため私のテニス部經營は中途半端なものになりました。「福岡髙高校テニス部の過去最高の榮誉を全員の成長で勝ち取る」としてゐたら、經營目標は「全国完全制覇(シングルス、ダブルス、團體戰)」となっていたでせう。なぜなら、我が校テニス部はかつて全国制覇をしたことがあるからです(完全制覇はない)。

 經營目的とはこれほど大切なものなのです。經營目標の上位に位置します。絶對に目標が上位に来てはいけません。

 その過去を振り返りながら、また、今後の残りの人生でリーダーシップを發揮していくために、リーダーシップ論と自分の經驗を振り返りながら次囘以降書いてまいります。

 戰後の誤った教育により、官僚のような優秀な行政官であるマネジメンタ―はごろごろゐます。でも、リーダーのなんと少ないことか。
12/14
 人間の格(器)というものは精神の大きさで決まるものである。大きな器をもった人間というのはみなk現実に打ち勝っている。したがって現実に打ち勝つことは必要であろう。心は動揺していても姿は常に平静を保て。
 現在は失敗するためにある。つまり大人になってその失敗を二度と繰り返さないために今そうするのだ。また失敗にどう対するかも考えなければならない。大きなものを見つめよ。

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このページは、宝徳 健が2018年7月28日 15:44に書いたブログ記事です。

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