この記事を書きながら、だんだん、「數年前の自分が十七歳の寳德だったらどこまでできたのだらうか」「今の俺にかけていることが復活したら(體力面は除く)、今の俺の仕事はどこまで變化するだろうか。クライアントの不安と不満の解消が出來るだらうか」と考へるやうになりました。
物事をやっていくと、また、人と付き合っていくと、どうしても「不満」が出てきます。それは仕方がないことです。例へば、給料。もっと欲しいといふ不満を持つことは當たりまえです。でも、社員は、そのために辞めたりすることはありません。「今の給料が續いたら、この先オレはどんな人生を歩めるんだらう?」といふ「將來の不安」を感じることになります。
マネジメントは、「將來の不安を解消」することに努めることが大切です。これが出來れば、現在の不満が消えます(完全には無理だが)。
コンサルタントとクライアントの間にも當然「不満」は生まれます。でも、「信頼していればここまでは出來るだらう」といふクライアントの「將來の不安」が少なくなれば、クライアントは安心します。ただ、心臓病、事故後の自分は、どうしても動きが鈍くなり、この將來の不安をクライアントに與へてしまつてゐます(現時点では)。
この入院は良かつた。そこを熟考(cosideration)することができました。退院まであと2~3日、その後自宅療養を5日ぐらいしますので、この思考を鍛えます。
この不安の解消に、パーソナル・インパワーメント(具體策)としての「任務分析」。いけそうでせうね。
出光興産が(時期を忘れましたが平成2年か3年)週休二日になりました(ずいぶん遅かったですが)。その時私は考えました。つまり、月に4日~5日休日が増える。4÷30=0.1333333・・・・、5÷30=0.666666・・・。 つまり、俺たちの自分たちの生産性が20%向上させないと、會社は、損をするぢやないか! 必死になって、自分の生産性を20%(實は、20%では面白くない25%だと)向上させる方法を考へました。
人間すぐに突飛なことはできません。何をやったか。足し算と引き算です。
足し算:同時に複数の仕事をする
引き算:不必要なことをやめる
でした。それと朝7時に會社に行くことにしました。朝の會社は、電話は鳴りません。うるさい(失礼)上司もゐません。頭はすつきりしてゐます。昼間の三倍ぐらい生産性が向上します。
朝を制する者は仕事を(事業を)制す
それと、中間管理職の一歩手前でしたので、部下へのリーダーシップと上司へのフォロワーシップを強化しました。
こんなことを考へて實行する力があったのですね。十七歳の自分に、六十二歳當時の親父に教えられてゐると、どんどんそんなことが蘇ってきています。クライアントのためにプログラム化していきます。できそうです。
さて、十七歳(昭和五十一年)の私を觀ませう。OBの矢住先輩が來られて、試合をしてゐます。矢住先輩は、インターハイ、インカレにも出場した名選手です。この頃は醫大に行っていらっしゃいました。この頃から「今年の1年は強いぞ」と、OBの方々が續々と練習をつけに來てくれるやうになりました。これが私たちの實力が飛躍的に伸びた大きな要因です。柳川商業の選手よりも強い人たちと仕合ができるのです。
矢住さんと、お名前を失念しましたが、全日本(オールジャパン)第二シードにもなったことがある先輩が、OB會で、試合をされました。「おい、矢住、ワンセット行くか」「いいですね」で。
「こんなテニスがあるのか」と思ひました。當時は、TV放映はありません。VTRなども觀ることはできません。世界トッププレイヤーのテニスを動画で知る術がない時代でした。全日本クラスの試合でもすごいな~と思ひました。今の人たちは幸せですね。テニスマガジンやスマッシュといふ専門誌に載つてゐる、名プレイヤーに連續寫眞を切り取って、ばらばらにして、もう一度並び替えてフォームを研究したりしてゐました。
矢住先輩とは未だに年賀状のやり取りがあります。