命の手紙 115(皇紀弐千六百七十八年八月六日)

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 今年九十一歳の父が、自分の人生を遺すために私たちに手紙を次々と送ってきます。今は、父が六十二歳の時に再就職した日本ファステムと云ふことについてです。さて、日本ファステムの話もクロージングに入ってます。
 ボクは日本ファステムには精魂を傾け、いままで蓄積した知識・経験を注ぎこみました。だが、どうしてもできないことがありました。

 決算期が近づく。「社長、決算はどうなさいますか」と聞くと「二重帳簿だ」と、悪びれるところがない.「公認会計士はわが社が雇っているのだ。こちらの言うとおりにやらせる」です。

 接待費の使い方は大会社並、いやそれ以上でした。ある時、「現場の人たちは円単位で工事費を稼ぐのに懸命になっているのに・・・」と社長を説教したこともありました。

 ボクは、入社の時に、それ「いろいろなこと)を進言する約束で日本ファステムに入ったのです。気に入らなければクビにすればいい。

 お話したことがありますが、70際のとき退職を申し出たら「宝徳さんはわが社に多大な貢献をしている」「あと10年でも20年でもいてください」と追われました。73歳でやめたとき、退職金を100万円もらいました。

 ボクが辞めて3年目に日本ファステムは倒産しました。経理担当者から連絡があり、「宝徳部長が放り出したからです」。ブレーキ役のボクがいなくなったのが原因だと言われました。 つづく

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このページは、宝徳 健が2018年8月 5日 19:32に書いたブログ記事です。

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