貞観政要 再13(皇紀弐千六百七十八年八月六日 四)

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  理想の政治とされている唐の国の太宗の貞観の治を書いた貞観政要を掲載しています。今日のテーマは「兵は凶器なり」です(20091130)。
 貞観四年、臣が太宗に奏上しました。

「林邑(りんゆう:土地の名前)は蛮夷の国、使者の口上が穏やかではありません。さっそく軍を差し向けて討伐すべきです」

 太宗が答えました。

「兵は凶器である。万やむをえない場合に用いるものだ。漢の光武帝も「一度軍を動員するたびに頭が真っ白になる」と語っています。古来、いたずらに兵をもてあそんだ者は、ことごとく国を滅ぼしている。隋の煬帝も、高句麗を討伐しようと、毎年のように軍役を課して人民の怨みを買い、そのあげく、匹夫の手にかかって殺された。隋の滅亡のときもそうであった。私はそれをこの眼で見てきた。
 軽々しく軍を動員するなど、もってのほかじゃ。しかも林邑を討つには険阻な山々を越えて行かなくてはならないし、かの土地には風土病も多い。将兵がそのような病に倒れれば、戦に勝ったとしても、なんの益があろうか。使者の口上など、捨てておけ」

 この議論は沙汰やみになりました。

【宝徳の所感(私見です。参考本とは関係ありません)】
 孫子の兵法も、できるなら兵は出すなと言っています。欺いてもいいから出すなと。戦いとはそれほどのことなのでしょう。国を滅ぼす原因は歴史的にみて、負け戦、女、酒、あとは、平目人間です。

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このページは、宝徳 健が2018年8月 5日 20:10に書いたブログ記事です。

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