勘違いしてはいけない(皇紀弐千六百七十八年八月九日)

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 八月六日が広島に非道の原爆をアメリカに落とされた日。長崎が本日 八月九日。そして、國際法を無視した民間人を大量虐殺されて陛下が苦渋の決断を下されたのが、八月十五日 敗戰屈辱日です。戰爭に敗けた日を記念日にするな。

 終戰の詔勅はまた敗戰屈辱日に書きますが、陛下はその中でかう述べられてゐます。

敵は新(あらた)に残虐なる爆弾を使用して、頻(しきり)に無辜(むこ)を殺傷(さっしょう)し、惨害(さんがい)の及ぶ所、真に測(はか)るべからざるに至る。

 廣島の原爆施設に以下の碑があります。


 誰が過ちを犯さないのですか? アメリカでしょ?

 小野田さんは、これをみたときに、「これはアメリカ人が書いたのか」と云ひました。

 この時期になると、核兵器廃絶だとか(それができれば苦勞はしない)、戰爭の記憶だとか(間違ひです、敗戰の記憶です)、TVでもやたら、戰爭反對だとか(當たりまえ)、ドラマでも我が國が惡いだとか・・・。では、今、他國が攻めてきたら、この言葉をかけて見逃がしてもらふのか。冗談ではありません。

 スイスは永世中立國だから、戰爭が起きないといふ驚くべき誤解もあります。中立國といふのは、誰からも攻められないのではなく、どの國に攻められても文句を云はないと云ふ意味です。だから、今でも數少ない徴兵制度の國です。

 さあ、正しく理解しませう。誰が、何が廣島と長崎を破戒したのか。平成二十三年八月六日と平成二十四年八月九日にこのブログに書いた記事を再掲しておきます。
平成二十三年八月六日
 66年前の今日、アメリカが広島に原爆を投下しました。

 「記念日」ではありません。なんでこんな、史上最大の虐殺であり、史上最大の国際法違反の日が、「記念日」なのですか? 日本人はお人よし過ぎます。

 先日、息子が言っていました。「お父さん、広島と長崎への原爆投下の時刻を知らない人がたくさんいるねんて」と。

 日本がアメリカから受けた恥辱の事実をしっかりと知っておきましょう。

広島への原爆投下

昭和20年(1945年)8月6日 8時15分です。

爆撃機の名前は、エノラ・ゲイ 原子爆弾の名前はリトル・ボーイです。

長崎への原爆投下

昭和20年(1945年)8月9日 11時2分です。

爆撃機の名前は、ラッギン・ドラゴン(長崎か小倉のどちらかに投下予定。エノラ・ゲイは小倉に向かったが、天候不良だったために、ラッギン・ドラゴンが長崎へ投下)。 長崎も雲が立ち込めていたが、一瞬の雲間から投下した。 原子爆弾の名前はファットマンです。

 くやしい。何も悪くないのに、戦争に誘い込まれて、有色人種だから核兵器の実験台にさせられました。アメリカは、原子爆弾を投下したから戦争が早期に終結したとほざいています。

 アホなこと言うな。お前らが日本を戦争に巻き込まなければよかったんじゃい。そうすれば、現代において、世界平和に貢献できる、大国日本が存在していたでしょう。くやしい。

平成二十三年八月九日

今日は、極悪非道で国際法違反の常連であるアメリカが長崎に原爆を落とした日です。 

 長崎に原爆を落とした機の名前は「ラッギン・ドラゴン」。落とされた原爆は「プルトニウム原子爆弾ファットマン」です。落とした機長は「チャールズ・スウィーニー」。
 広島に原爆を落とした機の名前は「エノラ・ゲイ」。落とされた原爆は「リトルボーイ」。機長は「ポール・ティベッツ」


戦後、GHQのウォー・ギルト・インフォメーションプログラム(戦争犯罪プログラム)によって、戦前の日本はすべて悪いという意識が日本人に刷り込まれました。アメリカは自分たちの犯罪を隠すためにそうせざるを得なかったのです。

 この原爆投下も「日本政府」が悪いことになっています。NHKの報道観ましたか? 式典での。

 あたかも日本政府が悪いようなことばかりキャスターが言っていました。福島原発のことまで引き合いに出していました。すぐにワンセグを消しました。あんな放送局に受信料を払っていると思ったら自分に腹が立ちます。

 原爆を落として日本国民を虐殺したのはアメリカです。日本政府ではありません。

 「原爆記念日」ですって。「原爆平和記念館」ですって。日本国民とはおめでたいものです。国際法違反で敵国から自国民が大量虐殺された日に「記念」という字をつけます。八月十五日も「終戦記念日」ですって。おめでたい。「敗戦屈辱日」です。

 昭和天皇の「終戦の詔勅」を読んでください。「終戦記念日」という言葉がいかに間違っているかがわかります。

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このページは、宝徳 健が2018年8月 9日 10:08に書いたブログ記事です。

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