貞観政要 再16(皇紀弐千六百七十八年八月十二日 四)

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 唐の太宗が行った理想の政治とされる貞観の治をまとめた「貞観政要」を紹介しています(20100213)。

 初心を忘れてしまった太宗に対して、魏徴が命がけの上申をします。その続きです。
 「昔、弟子の子貢が孔子に向かって、人民を統治する心構えを尋ねたとき、孔子は『腐った縄で六頭立ての馬車を馭(ぎょ)するときのように、絶えず畏れの気持ちを抱かなければならない』と答えました。さらに子貢が『それほど畏れなければならないものですか』と尋ねたところ、孔子は『そうだ。正しい道をもって臨まなければ、たちまちわが敵となるだろう。だから畏れなければならないのだ』と答えています。また『書経』にも『人民は国の本である。本がしっかりしていれば国は安泰である。だから上に立つ者は、くれぐれも人民を大切にしなければならない』とあります。

 陛下も即位した当初は人民を大切に扱われ、その苦労しているさまを見てはわが子のようにいたわり、みずからは常に質素な生活を心がけて、不要な土木工事などは極力控えてこられました。ところが近年、初心を忘れて我がままになられ、やたら労役を課しては『人民は暇をもてあますと勝手なことをする。適当に働かせたほうがいいのだ』などと語っておられるとか。古来、人民が生活を楽しんだことによって国を滅ぼした例はございません。人民が仕事を怠って勝手なことをしないようにと、わざわざ労役を課す者がおりましょうか。陛下のおことばは国を興隆させるゆえんではありません。また、長い目で見て、人民を安堵させることもできません。これが有終の美を飾れないことの第二であります。」


 経営にも相通じますね。耳が痛い。まだまだ続きます。

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このページは、宝徳 健が2018年8月12日 07:18に書いたブログ記事です。

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