源氏物語 再66(皇紀弐千六百七十八年八月十二日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 
この世をば わが世とぞ思ふ  望月の  かけたることも なしと思へば

 云はずと知れた藤原道長の歌です。源氏物語が書かれた當時、權勢を極めました。この藤原道長を皮肉ったのが源氏物語とも云はれてゐます(20170808)。

 さて、桐壺院がお隠れ遊ばしてから、宮中の勢力図ががらりと變はりました。
 光源氏の友であり、左大臣の息子である三位中將(さんみのちゅうじょう かつての頭中將 とうじょちゅうじょう)も同樣です。彼の奥さんは、右大臣の娘なんですが、仲があまりよくありません。

 光源氏も左大臣派です。左大臣は、桐壺院の信頼が厚かつたのですが、桐壺院崩御後は、その力も低下します。權力爭ひが嫌になり、左大臣をやめてしまひました。

 こんな危險な状況なのに、光源氏は、藤壺との逢瀬を企みます。

 なんちゅうやっぢゃ。つづく

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/7891

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2018年8月12日 06:36に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十八年八月十一日 五)」です。

次のブログ記事は「日航機墜落(皇紀弐千六百七十八年八月十二日 弐)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。