神やぶれたまはず(皇紀弐千六百七十八年八月二十六日 參)

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 なぜ、いままでこの素晴らしい本と出逢はなかつたのだろうか?私の大好きな長谷川三千子先生です。
 今、中古市場で4,500圓~15,000圓します。私が賈ひに入ったときは確か千圓ちよつと。最近、中古本市場で、本當に素晴らしい本は、どんどん値上がりしてゐます。

 序紹介します。長谷川先生は、歴史的假名遣ひで、文章を書かれます。


 一国の歴史のうちには、ちやうど一人の人間の人生のうちにおいてもさうであるやうに、或る特別の瞬間といふものが存在する。その瞬間の意味を知ることが、その国の歴史全体を理解することであり、その瞬間を忘れ、失ふことが、その国の歴史全体を喪失することである、といつた特別の瞬間--さうした瞬間を、我々の歴史は確かに持つてゐる。

 私がいまここでしようとしてゐるのは、その瞬間をもう一度ありありと我々の心の中に甦らせ、その瞬間の意味を問ひ、そしてその答へを得ることである。

 その答へを得たとき、われわれの時間、われわれの歴史は、ふたたび歩み出すことができるに相違ない。いはゆる"戦後"と呼ばれるわが国の歴史の数十年は、厳密に言へば、歴史でもなく、時間でもない。昭和二十年八月十五日、われわれの時間は或る種の麻痺状態に陥って、そのまゝ歩みを止めてゐる。六十八年たつて、いまだに"戦後"が終わらないのもそれ故である。

 しかし、その麻痺状態は、それ自体が一つの手がかりである。そこに何か大事なものがあり、それを忘れ去つてはならないことを、人々が無意識のうちに察知してゐるからこそ、日本人の精神史は、そこで凍結し、歩みを止めてゐるのである。

 法華経の中に衣裏宝珠といふ話がある。ある貧人が、富裕な親友と久しぶりに出会つて、酒を飲んでしたたかに酔つて寝てしまつた。急用で去らねばならなくなつた親友は、貧しい友の衣の裏に宝珠を縫ひつけて立ち去つた。ところが貧人はそのことに気付けず、ずつと後の再会するまで、ぼろぼろの衣の裏に宝珠を抱へたまゝさまよひつづけたといふ。

 いまのわれわれは、この衣裏宝珠の貧人にとてもよく似通つてゐる。われわれは戦ひに敗れ、われわれをうち負かした敵の庇護のもとで、乞食よりもまだ卑しい生を重ねてきた。しかし、その腐臭をはなつ汚れた衣の裏には、確かに一つの宝珠がかくされてゐるのである。

 その宝珠に気付くのは、或る意味でたいへん怖ろしいことである。それは、自分たちがとうの昔に無縁なつてしまつたと思ひ込んでゐる"精神"の領域に踏み込むことを意味するからである。いまも昔も"精神"の領域のことがらは、人を戦慄させずにはおかない。

 しかし、宝珠を持たされた者には、そのことに気付く義務がある。私がここに試みるのは、ぼろぼろの衣の裏に縫ひつけられた宝珠をそつと、取り出し、それと認める、といふことである。よくよく目をこらしてみれば、ぼろぼろの衣のすき間から、ところどころで、宝珠の輝きはもれ出てゐる。そのかすかな閃きを手がかりに、いまこれから、われわれの歴史がひそかに抱きもつ宝珠を発掘してゆきたいと思ふ。

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このページは、宝徳 健が2018年8月26日 10:33に書いたブログ記事です。

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