Tennis Diary 一つずつ不可能を可能に 2(皇紀弐千六百七十八年八月五日 參)

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 前囘から、私の新しい日誌です。昭和五十一年元日から始まります。高校一年生から二年生になる年です。以前、間違えたことを書きました。
 
 私のテニスが一番伸びたのは髙校二年生の秋からです。三年の春には、當時全國大會を13連覇していた柳川商業のレギュラーに勝つまで力をつけました。そして、三年春の西日本選抜ではベスト8(これは本當にくやしい。決勝まで行けました。これも私のリーダーシップとマネジメントミスです)。監督もコーチもいないチームだと、リーダーシップやマネジメントミスが發生したときに、修正することが至難の業です。でも、これはただの言いわけ。サイレント・リーダー(リーダーは言い譯をしない)。如何なる状況でもチームを勝利に導く人間がリーダーです。軍隊では、状況が變はつたから負けましたと云ふ言いわけはできません。

 さて、生意気な若造(笑)の日誌でもみますか。
1/1(木) 新しい一年。どう生きるか自分次第である。
 目標 やるべきときに やるべきことをやり 時間を無駄にしないこと。17歳から18歳への1年というのは人生にとっておおきなものになるという。したがって自分のすべてをかけて限界に挑戦していこう。途中でくじけたらもう人生の半分はおしまいと思え。
《テニス》
ストローク(すべて)において もっとボールをよくみること
リターン・・・バックスイングは不要であってもフォロースルーは必要
ボールとラケットの会話が聞き取れるぐらいのゆとりをもて(プレー中)。

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このページは、宝徳 健が2018年8月 5日 07:45に書いたブログ記事です。

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