Tennis Diary 一つずつ不可能を可能に 5(皇紀弐千六百七十八年八月九日 七)

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 テニスの四魂 參番目の CONは「Confidence」です。マラソンの小出監督の本を讀んだことがあります。高橋尚子選手について。人一番熱心だから自分自身に絶對の自信を持ってゐると。

 松井秀喜さんもそうですね。不動心といふ本で「努力できることが才能である」と。

 私はこの二人と比べる資格もありませんが、髙校時代は、練習をしてもしても「まだ足りない、まだ足りない」と思ってゐました。「どんなに練習で苦しくても試合で負ける辛さに比べたらました」と。

 「ずいぶん練習したなあ(努力したなあ)」といふのは、自信ではなくうぬぼれなんでせうね。本当の自信とは「まだ足りないまだ足りない」と自分を鍛えて初めて築かれるのでせう。

 そんなことにすこしずつ気づき始めた十七歳でした。これに比べると今の私の甘いこと。許されませんね。
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もうすぐ冬休みもおわりだ。時間なんてあっという間に過ぎてしまう。時間を通して自分をみると自分がおそろしくなる。やるべきことをやる。やるべき時にやる、という今年の最大の目標の1つだ。今はこんなことをしていていいのか。そう考える。まだそう考えつく間はやるべきことをやっているといえよう。誘惑が襲ってきたら、それに打ち勝つのに必死になる。時間は過ぎていく。もう少し成長しなければ。

《テニス》
 とにかくテニスに関しては1日に1つでいいから何かをつかもうと思う。早く自分が思う通りのプライがしたい。どんなにテニスが面白くなることだろうか。しかし、まだまだ道は遠い。遠くのものを気にかけながら近くのものを確立していこう。

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このページは、宝徳 健が2018年8月 9日 10:59に書いたブログ記事です。

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