禾乃登(皇紀弐千六百七十八年九月6日)

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 もう手術して1か月も經つのですね。早いな~。しばらくブログを書かないうちに・・・。

 今は、七十二候 処暑 末候 禾乃登です。「こくものすなはちみのる」と讀みます。

 日に日に稻穂が重くなつてくるころです。

 我が國が、稻の國であることは明白です。我が國の名前は 豐芦原の瑞穂の國です。そして、斎庭の稲穂の神勅があります。

 敗戰前は小學生でも知つてゐた三大神勅ですが、今は、知つてゐる人が少ない。
天壌無窮の神勅(てんじょうむきゅうのしんちょく:我が子孫が日本の統治者であり、清く正しい統治をする限りそれは永遠に續く)

斎庭の稻穂の神勅(ゆにわのいなほのしんちょく:天照大御神は瓊瓊杵尊に稲の種を与え、これで民を養いなさいと命令した。日本は稲作國家である)

寳鏡奉斎の神勅(ほうきょうほうさいのしんちょく:天照大御神は瓊瓊杵尊に鏡を与え、これを私と思っていつも自分を映し出して自己を反省せよと命令した)

 だから、斎庭の稻穂の神勅を學んでゐたら、減反政策などやるはずがありません。

 そして、みんなで力を合はせて米作りをしました。私を忘れ互譲互助で。

 私の「禾」は穀物をあらはします。「ム」は肘です。つまり、穀物を獨り占めしやうとして肘でかき集める姿が「私」です。その私を捨ててひとつ屋根の下でといふ字が「公」です。

 漢字には字源があります。素敵ですね。

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このページは、宝徳 健が2018年9月 6日 00:06に書いたブログ記事です。

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