貞観政要 再19(皇紀弐千六百七十八年九月六日 參)

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 初心を忘れてしまった唐の太宗に魏徴の諫言が続きます。第十番目の諫言内容です。上司も部下もこの緊張感はすごいですね(20100223)。
 「昔、堯舜や殷の湯王(とうおう)の時代にも災害がなかったわけではありません。しかし、それでも聖徳を称えられたのは、初めから終わりまで無為無欲に徹し、災害が起こればすぐに救済の手をさしのべ、平穏なときでも常に謙虚な姿勢で、しっかりと天子のつとめを果たしたからです。陛下も即位された当初は、毎年のように霜害や旱魃に見舞われたために、食料を求めて都から関外へ人口が流出し、老人や赤子をひきつれてさまよい歩く者が数千人にも達しました。それでも、逃亡した者は一戸もなく、怨む者は一人もいませんでした。なぜなら、だれもが陛下の情け深い心を知っていましたので、死んでも二心を抱こうとはしなかったからです。

 ところが近年、人民は政府の使役に借り出され、とくに都の周辺に住む者どもはその負担でつかれきっています。職人たちは休みの日でも全員に留めおいて働かされ、兵士もまた多くは勤務外の労働にこき使われています。また、政府が利ざやを吸い上げるための商品が村にまで流入し、運搬する人夫が道路にまであふれています。なにか事件が起これば、大きな騒動に発展しかねません。水害や旱魃で収穫が期待できないとなれば、人民はこれまでのように安心して仕事に打ち込めなくなるでしょう。

 これが有終の美を飾れないことの十番目であります」

 まだまだ、続きます。

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このページは、宝徳 健が2018年9月 6日 04:57に書いたブログ記事です。

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