昭和二十年。日本が屈辱の敗戰を迎えた年です。出光興産㈱は、日本石油の縄張りのため、敗戰前は、國内で思ふやうに商賣ができませんでした。なので、支那大陸や東南アジアに進出しました。敗戰でその海外資産をすべて失ひ、残ったのは、膨大な借入金と海外に行ってゐる社員です。出光佐三は自殺するだらうといふうわさも流れました。
役員たちは佐三店主に、海外から引き上げてくる社員を解雇してくれと提案しました。佐三店主は激怒します。
企業の最大の資産である「人」を解雇することはあり得ない
と。そして、三つの言葉を遺します。
一、愚痴を言ふな
一、日本の三千年の歴史を見直せ
一、今から建設に取り掛かれ
さらに、「玉音を拝して」といふ文章を遺しました。
明治に男たちの土性骨、とほれぼれとする度量をごらんあれ。
あ~、俺たちはなんて情けないんだ!!!
最も直接にかつ深刻に諸君を不安ならしむるものは、この後の苦しみである。焼野ヶ原に於けるドン底生活、更に加わる新たな負担、突破せねばならぬ建設の苦しみ、これらに堪え得るかの不安である。
この大任を果たし、聖旨(せいし)に答え奉り、祖先の霊に報告するは容易の事でない。これは、死に勝る苦しみを覚悟せよ、との一言に尽きると思いますこの後引続き種々なる苦難が来る毎に、死んだ方がましだと思う事が続くと思う。 私は創業二~三十年前、人生は斯(か)くも苦しいものか、死ななければこの苦しみより逃れる事は出来ないとしみじみ苦しみ続けた。親友も私が自殺するであろうと何度も思ったか知れないと、語ってくれた。
この連続した苦しみは私も今日にして居るのである。艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉にす、と言う事はどうしても忘れられない。
三国干渉、日露戦後の国難が過去において日本を強化し発展させ第一次世界戦争の一時の安逸が日本を如何(いか)に国歩艱難に導いたかは、かねがね述べた通りである。 苦労は力(つと)めてせよとは、店是(てんぜ)であり私の常套語(じょうとうご)である。
戦時中の今迄の苦労が偉大なる精神的根幹を強化した事も述べた。この後の苦労が国家の前途に大なる結果を齎(もたら)す事も争えない事であるとするならば、吾々は如何なる苦しみも堪え忍ばねばならぬ。
しかしながら、この苦労は吾々があって知らない深刻なものである。食糧の不足、失業問題の解決、思想下の闘争、働いても働いても追い来る窮乏等々、一つだけでも相当の苦労である。
これら大苦労の重複、しかも連続する艱苦(かんく)、死んだ方がましと言う事になる覚悟をせねばならぬ、これが国家に対し祖先に対する責任であり、やがては、世界人類に対する務めである。
第一線にある同胞同志のこの後の苦難を思う時、吾々の苦労はまだやさしいものであると思う。日本人は艱難を永久の友とする所に、日本精神あり、武士道あり、人類に対する貢献があるのである。
苦労を恐れるものは日本人たり得ないものである。
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