前回は、源氏物語は書かれたころからいくつものわからないことが發生し、そのつど謎解きがなされてきたと申し上げました。そうです、その壮大なチャレンジは、源氏物語に魅せられた後世の人間によって千年経った今でも續けられてゐるのです。
最初のチャレンジは、嘉禄元年(1225年)に藤原低下によつてなされました。定家は家族を総動員させ、源氏物語の全巻を筆寫させました。それがこの年の二月十六日に終はつたのです。「どういふ本文で源氏物語を讀めばいいか。最初の報告書です。
私など、一生かかつてもそんなことはできませんが、源氏物語ファンの一人としてコツコツとつづけてまいります。
さて、続きです。
光源氏と朝顔の君のやりとりが、弘徽殿女御の耳に入つたところまででした。
弘徽殿女御「あの男は、あの姫君にもちょっかいをだしてゐる」
まあ、光源氏がどう出ようと朝顔の君は清い立場を津なる来ます。
桐壺帝がみまかり、光源氏に力がなくなりました。宮中での勢力地図ががらりとかはつたのです。
光源氏は、「さてと、人にいろいろ処分されるより、自ら軆を引くか」と考へます。
第十一帖 花散里(はなちるさと)、そして、第十二帖 須磨へと入つていきます。いよいよ明石の君ですね。 つづく
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