命の手紙 125(皇紀弐千六百七十八年九月二十八日)

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 KANO1931海の向こうの甲子園

のつづきです。
 迎えた甲子園大会、下馬評では弱すぎて本土のチームには相手にならないのではと危惧されていた。甲子園球場に来た嘉農の選手たちは「甲子園の土」の質の良さに感動する。初戦の対神奈川商工戦では、3-0の寒風に抑え、一躍注目チームとなる。その様子をスタンドから見ていた錠者は、激しく動揺する。マスコミからの取材を受けた嘉農の選手たちは当初「日本人の子は手を挙げて」「日本語は理解できるのか」等との偏見の眼差しが向けられる。近藤は民族を問わず「同じ球児だ」と反論し、生徒たちを守る。

 準々決勝の対札幌商業戦は、19-7の圧勝。試合中、札商のピッチャーの錠者は茫然自失となり、自分でも理解できないうちにマウンドを降りてしまう。 つづく

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このページは、宝徳 健が2018年9月27日 19:45に書いたブログ記事です。

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