紫式部とは不思議な女性です。わかっている情報が少ない。父親は藤原爲時。弟は、藤原惟規(のぶのり)。夫が、かなり年上の 藤原宣孝(のぶたか)。
その紫式部が「わからない」魅惑も、源氏物語の研究と共に、千年間人をひきつけました。
でも、紫式部は、今も天國で言つてゐるでせう。「私の顔のことや、親兄弟や夫や娘のことよりも、源氏物語に集中してくださいな」と。あっ、ちなみに、夫が亡くなった後に源氏物語を書いてゐますし、娘が一人いたさうです。
源氏物語は、第一帖「桐壺」から第五十四帖「夢浮橋 ゆめのうきはし」までで構成されてゐます。前にもお傳へしましたが、巻物になってゐのが「巻」、本形式になってゐるのが「帖」です。でも、源氏物語は原本が残ってゐないので、本當に帖だったかは私たちは知る由もありません。 五十四帖は「ゴジュウシヂヤウ」と讀みます。
そして、すてきな話があります。
一割は 雲に隱れし 物語
實は、源氏物語は六十帖だつたといふ節があります。この川柳・・・。六十の一割が六なので、五十四帖。では、残り六帖は、どこに行ったか。「雲に隠れし」ですね。
なんと、「雲隱六帖(くもがくれロクヂヤウ)」といふ、光源氏が出家したあとの物語を書いた巻があつたとする傳説があるのです!!!!!!
素敵ですね~。ワクワクします。まだまだ逸話があります。
では、つづきです。
出發を前にして、光源氏は、退去中の左大臣の屋敷に行きます。正妻 故 葵の上の父君であり、臺の親友 三位中將(さんみのちゅうじょう かつての頭中將 とうのちゅうじょう)の父君です。
左大臣も失意の中にあります。愛娘 葵の上が没し、光源氏との縁も薄くなりました。後ろ盾となってくださっていた桐壺院もみまかりました。表舞台から軆を退いたのは自分の意志であったとしても右大臣家など反對派の跳梁がつらいのです。そこへ來て、ひかるげんじが遠くにいってしまひます。光源氏と葵上の子供(若君)が、何も知らずにはしゃぎまわってゐます。光源氏はその子を膝にのせて「しばらくぶりなのに、覺へておいてくれているんだなあ」と。この子の將來も心配です。
病氣がちの左大臣が云ひました。
「命を長らえたのがうとましひ」
光「なにもかも前世の報い。私の運命でせう。官位を剥がされることもなく、輕い咎めを受けただけの場合でも、公の謹慎は重く考へるべきもの。そのまま普通の暮らしを續けてゐるのは外國でも罪深いとされてゐます。私の場合は、流罪とすべきだといふ噂さへ飛び交ってゐるとか。この先、大變な重罪が降りかかるかもしれません。自分一人で潔白と信じていても埒があきません。これ以上恥をみないうちに軆を隱さうと考へました」 つづく
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