文藝春秋の終焉(皇紀弐千六百七十八年九月三十日 九)

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  堤堯さんが編集長をされていた頃の、文藝春秋は、毎月讀むのが樂しいどころか、ワクワクドキドキしてゐました。「諸君」が廢刊されたころからでせうか。

 モリカケ問題などと云ふ、朝日新聞のデマ記事にも乗つてしまひました。ジャーナリストだから時の政權を叩くのは問題がありません。文藝春秋ともあらうものが、あのデマ朝日の尻馬に乗る。かつてだつたら考えることができません。

 この前、あるところ、昨年九月號の文藝春秋をみました。「安倍総理でいいのか」といふ記事です。これも記事自体をどうこう云ふつもりはありません。kでも、自民党全國會議員四百八人のうち回答を寄せたのがたったの二十七人(7%)でした。普通、7%だったら編集長が記事を没にしませんか(笑)?

 文藝春秋にいたことのある人に聞いたことがあります。

 文藝春秋は、菊池寛の創業以來、家族的な會社で、内紛などはまったくなかったそうです。

 まあ、半藤一利などの嘘作家が牛耳ってゐる會社ですから、そうなっても仕方がありませんね。

 批判だけではありません。大ファンであっただけになんとも悲しくて仕方がありません。

 四書五經の 春秋 からとった名前。 社名と雑誌名を變へるっことをおすすめします。
 

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このページは、宝徳 健が2018年9月30日 08:55に書いたブログ記事です。

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