器が知れる(皇紀弐千六百七十八年九月三十日 十)

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 私がこのタイトルを書くと、天に向かって吐いた唾が自分に戻ってきそうですが(笑)。

 これまた文藝春秋に、小泉進次郎が、自分の所見を載せてゐました。ある所に行くと、時間があるときに文藝春秋を手に取ります。なぜ、所見と書いたか。
 本當は、「小泉進次郎氏が政策を文藝春秋に載せてゐた」と書きたいのですが(自民党総裁選前)、政策がどこにもない・・・・・。この點石破茂とよく似てゐます(石破ほどアカではありませんが)。

 最近の發言をみても、モリカケ問題で安倍さんを批判したり、「政治史に残る平成の大事件だ」と發言したり・・・。なんでこんな人が人氣があるのだらうか? 日本國民もまだまですね。

 だって、彼は、党執行部ですよね? なら、物をもうしたければ党内の役員会で議論をして、総裁に直言すべきです。
 
 彼はよく「立場はどうあれ正論を言ふ」と語ります。なら、ジャーナリストになれよ。

 これが自民党が近代政党になれない大きな理由です。イメージしたくありませんが、彼がもし、総理大臣になったら、政策より政局の以前の自民党に戻る事に疑いの余地はありません。選擧の客寄せパンダをしていればいいよ。

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このページは、宝徳 健が2018年9月30日 09:19に書いたブログ記事です。

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