高山正之先生の記事 4(皇紀弐千六百七十八年十月一日 弐)

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 我が國画がキリシタンを弾壓したことを司馬遼太郎が書いてゐます。「信徒に蓑を着せて火をつけた」といふ。これが嘘なのは今ではバレバレです。私達も小さい時に學校でかう習ひました。メディアと學校教育は嘘ばかりです。 では、つづきです。 あと二囘。
 人の描き方も伊地知幸介を越えていった。島原の紀行では切支丹を弾圧した松倉重政を「日本史の中で彼ほど忌むべき存在はない」と口を極めていた。

 根拠はポルトガル船長とオランダ商館長の記録による。「信徒に蓑を着せて火をつけた」とか。

 ただその記録を検証したのだろうか。検証すればあの当時、欧州で売れていたラス・カサス「インディアスの破壊についての簡潔な報告」の描写に見事に合致するのを知ったはずだ。

 この黄色い國は生意気にキリスト教の慈悲も知らぬ邪教だと言って締め出した。仕返しにたっぷり中傷してやるか、とラス・カサスの口真似で残酷に本を描いたと見る方が筋は通る。

 朝日はマッカーサー達白人を崇拝して疑うことを知らない。司馬もそれに感染していったのか。 つづく

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このページは、宝徳 健が2018年9月30日 20:21に書いたブログ記事です。

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