命の手紙 128(皇紀弐千六百七十八年十月三十日 參)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 KANO1931海の向こうの甲子園

のつづきです。
 負けても泣くな、勝っても泣くなと指導された選手たちも、「僕たちはいつ泣いたら良いんですか?」とついに号泣する。

 選手たちは、準優勝盾と甲子園の土を手に、船で台湾への帰路についた。船上ではしゃぎながら野球をする選手たちの前に、やがて懐かしい台湾の地が近づいて来る。

 エンドロールで、近藤や選手たちのその後が紹介される。ある者は日本の野球界で活躍し、ある者は台湾で野球の普及に貢献した。そして、ある者は第二次世界大戦(太平洋戦争)で戦死したのだった。

 この手紙 をはり

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/8001

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2018年9月30日 20:30に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「高山正之先生の記事 4(皇紀弐千六百七十八年十月一日 弐)」です。

次のブログ記事は「なかしま脳神経外科クリニック8周年(皇紀弐千六百七十八年十月一日 四)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。