Tennis Diary 一つずつ不可能を可能に 13(皇紀弐千六百七十八年九月弐十六日 五)

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 久しぶりの登場ですね~(笑)。

 あの屈辱の敗戰後、アカと日教組による 過つた不埒な教育を私たちは受けて育ちました。嘘を信じ込まされました。だから、學校が、「勉強が嫌いになる」場所となりました。その教育からは、リーダー教育が全く抜け落ちました。だから、あの不埒な敗戰後教育を受けた人間は、全員「リーダーシップ」とは何かを知りません。

結果として、マネジメントが上手な優秀な行政官

みたいな、氣持ち惡い人間ばかりが育ちました。

 どこに行っても行政官ばかり。それが近年その傾向が益々強くなつてゐます。

 例へば、コンプライアンス。誰も法律を守らなくてもいいと申し上げてゐるのではありません。コンプライアンスを法令遵守などと譯すからおかしくなります。コンプライアンスと云ふのは、法律さえ守っていれば、お前らはいらんことを考えなくていいといふ 愚民化政策 です。

 例へば、PC(ポリティカル・コレクトネス 勝手に決められる世の中の妥当性らしきもの)。一部の人間が世論扇動のために「これこれはこう考えるべきだ」を決めます。「残業は惡なんだ」「軍隊は戰爭をする道具なんだ」などなど。つまり、優秀な俺たちが世の中の方向性を決めるから、お前らはいらんこと云ふな。逆らふな。です。これも愚民化政策です。官僚やメディアやアカが跳梁跋扈します。

 「ただしいやり方でやる」マネジメントは大切です。しかしその前提に「正しいことをやる」といふリーダーシップが来なければマネジメントは何の意味もなしません。

 さて、久しぶりの十七歳の寳德くんです(笑)。この時期は、ずいぶん怪我で苦しんでゐますね~。
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 あとでくいがのこらないように、今のうちに行動しておけ。楽は九の種、苦は楽の種という。一時の苦しさに敗けるようでは大成はしない。己に勝つ。この世で最もむずかしいことである。今できるとは思わないが、やらなければならない。

<テニス>
 足よはやくなおれ。足などをいためるということは、普段の鍛え方がたりないということである。技術ばかりでなく体力もつけること。スポーツの基本である。忘れるな。

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このページは、宝徳 健が2018年9月25日 22:02に書いたブログ記事です。

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